それぞれの土地で 5  PDF

阿部 純(宇治久世)

奄美大島赴任記 その二

 助産師も奄美はダイビングが楽しめるとあって短期で派遣でやってくる。どっちが本職かわからない。実は大島には3年半ほど滞在したが、はじめの1年ほどは珍しさもあって新鮮な毎日を送っていたが、だんだん島の生活に慣れるにしたがって拘禁ストレスのような精神状態に陥り、一刻も早く島から脱出したくてしようがなかった。島から出るためには分娩がいつあるかわからないので代わりの医師の手配が要る。東京や名古屋のフリーターの先生の到着を待って奄美北部の空港(1)に送迎してもらった。鹿児島を経由して伊丹、伊丹からリムジンで新大阪、そしてJRで自宅に向かうが、電車がむやみに懐かしかったようだ。それと離島は自然が一杯だが文化を享受するのにはまこと不便、好きなコンサートにも行けない。ああ、そうそう奄美にも一応、屋仁川という飲み屋街はあってライブの店もありマンションで一緒だった歯科医の先生とASIVIという店に時々、生を聴きにいったものだ。それから黒糖焼酎(2)を片手にカラオケを歌いまくりいい気持ちになればなぜか深夜に出産で呼ばれ、天国から地獄(おめでたいが)の修羅場が待っている。アルコールの血中濃度が高いうちの午前2時の出産はつらいがさらに追い打ちをかけるように再び午前4時に呼ばれてお産に立ち合い無事、生まれてほっとしたのもつかのま産後の大出血に遭遇した。だいぶ覚めていたので落ち着いて対応でき胸をなでおろしたこともたびたびあった。神は見ているのだ。大島で還暦を迎えたが病棟でお祝いをしていただき感無量であったが、そろそろ潮時と判断し奄美を去ることにした。
 さまざまな特異な経験をさせていただいた奄美大島の人達には感謝申し上げたい。今は格安航空で奄美に飛べるらしいが退職してから訪れていない。
 (1)そばに田中一村記念美術館あり。一見すべし。
 (2)奄美特産のさとうきびから造る。今でも愛飲する。

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