続・記者の視点 74  PDF

ベーシックインカムの前提条件
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

 ベーシックインカム(BI)という方式が関心を集めている。国民または住民の全員に無条件で一定額の金銭を政府が定期的に給付する政策だ。BIがあっても、働いて収入を得て、より豊かな暮らしをするのは自由である。
 保険料を納めた人への給付を原則とする社会保険方式とも、低所得者を対象にする「選別主義」の福祉とも異なり、究極の「普遍主義」の給付である。フィンランドでは今年から失業者に限定して実験的に導入されている。
 最低限度の生活を営める金額をBIで給付する場合の利点は、①漏れなく給付するので、貧困をなくせる②社会保障の行政事務を簡素化できる③福祉給付へのスティグマ(恥の意識)が消える④生活維持のための労働から解放され、仕事や生活のしかたの自由度が増す――などだ。
 主なデメリットは、巨額の財源を要する点と、勤労意欲が低下して労働力不足・生産力不足を招き、経済が停滞しないかという懸念である。
 従来の枠組みにとらわれず、いろいろなアイデアを考えるのはよいと思う。しかし実際の導入を想定すると、いくつかの前提が必要になる。
 日本での導入については1人あたり月7万円とする案がある。大都市圏で生活保護による単身者の生活扶助基準額(月8万円余り)を下回る点に問題があるが、仮にその水準で日本の住民全員に年84万円を給付するなら107兆円が必要になる。
 一方で基礎年金、児童手当、失業給付、生活扶助、奨学金などが不要になる。所得税は基礎控除、配偶者控除、扶養控除などを廃止し、税率を大幅に上げる。
 企業は社会保険料の事業主負担が減り、家族手当もなくすだろうから、法人税も上げる。さらに基礎年金の積立金、資産課税、消費増税などを足せば、財政的に実現不可能とは限らないようだ。
 財源は赤字国債でもよい、日銀への債務は気にしなくてよい、BIを導入すれば消費が増えて経済が活性化する、と考える経済学者もいる。
 ただし見逃してはならない重要課題がある。人によって生活に欠かせないコストに差があることだ。医療・介護・障害者福祉に自己負担があるままだと、病気、障害、高齢などでBI以外の収入を得られない人が生きていけない。額の大きい住宅費、教育費もBIでは考慮されていない。
 であれば医療、介護、住宅、教育を全面無料化するか、低所得者のみ無料にするか、その部分の生活保護を残すか。生存と教育を支えるコストの平準化こそ、基本生活費の保障を理念とするBIの前提条件であり、BIの導入より先に解決すべき問題である。
 BIには、異なる思想的源流がある。一つは政府からの給付はBIだけにして、ややこしい福祉制度は全部やめてしまえという新自由主義的な発想。もう一つは労働や生活の自由度を高めたいという発想。残念ながら生存権保障や福祉の観点に立った議論は弱く、その角度からのていねいな検討が欠かせない。
 勤労意欲が低下するかどうかは見方が分かれる。現実的には、人工知能やロボットの発達で生産性が大幅に高まり、雇用が減少する社会状況が前提になるだろう。

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