マダガスカル8  PDF

関 浩(宇治久世)

森の母 シートベルト MAKI

レミュール動物園 
MAKI(マダガスカル語のワオキツネザル

 アンタナナリヴ市内を一望できる展望台、といっても道路から少しはみ出した程度の空き地なのだが、市内の雑踏もここから眺めればうそのよう。高層建物は少なく、わずかに政府系建物、外国資本のホテルぐらいだが、中心部に競技場、それに隣接する広大な人造池がいやでも目につく。前者は中国が建設したもので、ここで独立セレモニーが執り行われた。人造池のアヌシ池は王政時代、伊藤忠商事が造り上げたものという。この池の周囲は10月初旬には藤紫のジャカランダの花が咲き、散策コースとして有名である。
 フランスの植民地時代が始まったのが1896年8月6日、独立を果たしたのが1960年6月26日、実に64年間フランスの植民地として搾取された。そのため今でもフランス人に対して嫌悪感を抱く人はいる。
しかし反仏教育はされず、植民地時代の建築物、インフラについては大きく評価しているという。
 おまけに学校ではいまでも現代マダガスカル語とともに、フランス語が公用語である。貿易やその他、仕事上フランスとの関係は密であり、職を得るためには、フランス語の習得が必要で、フランスとの関係はいまだ密接で重要なのである。ガイドの親の世代は植民地時代の方が暮らし向きは良かったと言っている。
 また、一般国民から見れば現政権の政治、政治家は私利・私権の塊でまったく信用できないという意見が多い。
 他の外国に対しては、中国人は、繊維、縫製工場を経営し雇用を生み、そのため現地の人々は中国人には好意的だという。しかし彼らは市内中心部にコミュニティーを作り、一般のマダガスカル人と打ち解ける機会はあまり作らないという。しかしながら一般家庭ではほんどが中国製の衣服、テレビなどの家電製品、家具で占められ、中国との関係はいやおうなく高まっている。市内では中国語、韓国語語学教室の看板を目にする。一方、日本、日本人といえばもっと接触は少なく、ほとんど知らないという。JICAの活動などを知る人は少ない。日本の商社がウナギやエビの日本への輸出にかかわっていることは知っているとガイドが言う。そのほか世界史の授業で広島、長崎への原爆投下は習ったというが、「日本はアメリカとの戦争に負けたのですか?」と尋ねてくる。国内を走る車は圧倒的に中古の日本車が多いが、プジョーも見られトラックはベンツが多い。クラシックカーと見まごう古い車もまだまだ現役。だから排ガス規制などおそらく無縁なのである。
 展望台から下る途中、瀟洒な建物が目に入った。私立の小学校だという。この国では、義務教育制ではなく、田舎では学校自体がない。いきおい自分の名前が書ける程度の識字率は全体で70%程度であり、大学への進学者はきわめて限られている。アンタナナリヴ大学、フィアナランツォア大学、マハジャンガ大学などがあるが、大学への進学はフランス国内への希望が多く、フランスで資格を得、帰国して富裕層の仲間入りをするのがマダガスカルでは成功への近道である。くだんの小学校の通用門にこの国で初めて目にするクラウンの高級車が止まり、メイドと思しき女性に連れられた児童が門番の構えるゲートに入っていく。授業料はとても高く、親は高級官吏、政治家、弁護士、医師などという。
 その後、行程を変更してレミュール動物園に向かう。
 ここではマダガスカル固有の動植物を見ることができる。
 ブラウンキツネザル、シロクロエリマキキツネザル、2種類のシファカ、目指すワオキツネザルなどが放し飼いされている。しかし、レミュールアイランドのように人に慣れたキツネザルと違い、必ず2m以上距離を取るよう注意を受けた。
2本足歩行はベローシファカだけであるが、知らんぷりされた。ワオキツネザルの一番の特徴は、各々14本の白と黒の模様を持つ身体と同じくらいの長い尻尾だ。目指すワオキツネザルのエリアで高い樹の枝から枝へ飛び移る10数匹の個体が目に入ってきた。彼らは家族とは限らず、群で生活するという。一群が飼育員の合図とともに餌を求めて地上に降り立った。1万1千㎞を旅し、はるばる会いに来た私に対しても、愛想も素っ気もなく一心不乱に果物を口に入れ、取り合いをしている。母親の腹部にしっかりとしがみついている子どもザルの小さな頭、細いながらも、その特徴である白黒の縞模様の尻尾がはみ出しているのが可愛い。

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