京都保険医新聞3000号発刊に寄せて  PDF

保険医療の新時代を切り開け

京都府保険医協会 名誉理事長 山田 亮三

本紙の題字は、桜花を背景に「京都保険醫新聞」と印刷されています。今から68年前に当協会の創立を担われた諸先輩の、保険医療に臨む熱情が叫びとなってこだましてきます。
機関<紙>は、組織体の<発声>器官という考え方に由来します。「京都保険医新聞」は、京都府保険医協会の考え方や主張を、紙面に印刷された文字として、会員はもちろんのこと、対外的にも、的確に伝えることが使命です。
創立当初の「京都府保険医協会雑報」は、その第12号から「京都保険医新聞」に引き継がれて、この3000号に到達しました。理事はもとより、内外の関係者や事務局職員のみなさんの尽力に心から敬意を表します。
そして、今や時代の大きな転換点を迎えて、当協会が会員とともに歩み、そして全国保険医団体連合会や全国の保険医協会・医会と連携しつつ、保険医療の新時代を切り開くために、本紙が確かな論説を担うように期待します。
弛むことない不断の機関紙活動を
全国保険医団体連合会 会長 住江 憲勇

京都保険医新聞3000号発刊、誠におめでとうございます。3000号に至る協会役員、会員の先生方、事務局のみな様のご努力、ご健闘に心から敬意を申し上げます。
ご努力、ご健闘の支えになったのは、府民・国民の医療・社会保障の改善、会員の経営と権利を守り、保団連の活動・運動への役割発揮を通して全国の保険医との統一と団結を、との熱い思いであろうと厚く御礼申し上げます。
機関紙とは、会員への情報伝達という役割と、会員一人一人が寄稿・投稿を通じて、ご自身の日常の臨床経験や、喜怒哀楽を吐露され、それを会員とで共有、共感しあえる場としての役割、即ち役員・会員そして事務局との統一と団結を築き上げ、そして強固にする場でもあります。
低医療費政策、医師不足による「医療崩壊」の下で、保険医はますます長時間診療従事を余儀なくされ、会員自身の地域における医療実情、患者・住民の実態は見えても、府下、全国的視野を持つことは大変困難です。これを補うべく弛むことのない不断の粘り強く機敏な機関紙活動が求められます。
今後の協会、保団連、府民、国民のより一層の協力、共同、連帯を有した運動、たたかいのためにも京都保険医新聞の果たす責任と役割は更に大きなものになっています。
今後の更なる発展を祈念申し上げます。
第2000号記念号を発行
1996年2月19日

「京都保険醫新聞」 に改題
1950年12月1日

「京都府保険医協会雑報」 創刊
1949年10月30日
雑報 No.1 には、第1回代議員会で新理事らを選出したこと。第1回理事会で理事長に富井清氏を選出したことなどが報じられている。

第12号から改題し、第13号から現在の桜を背景にした題字になる。12号の左下には「珈琲の出し方」の紹介もされている。

第2000号は 8 ページカラーで特集。表紙を飾ったのは、保険医新聞の成長をイメージした芽吹く筍。俵良裕氏がカラートーンを重ね貼りして表現した。

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