マダガスカル3  PDF

日本海軍と英国海軍の海戦

英国海軍は42年5月、ヴィシー政府(※)下のマダガスカル北部ディエゴ・スアレス(現在のアンツィラナナ)を占領する。ドイツからマダガスカルのヴィシー政府軍の援護を要請された日本海軍は潜水艦部隊をマダガスカル沖に派遣した。5月30日、「特殊潜航艇」と呼ばれる全長約24メートル、2人乗りの小型潜水艇(通常は潜水艦の「背中」に乗って移動し、戦域近くで母艦を離れ、標的に近づいて魚雷攻撃する)を攻撃に向かわせ、2艇の特殊潜水艇は魚雷攻撃で英戦艦ラミリーズを大破、タンカーを撃沈する。その後、2人は上陸し英軍に切り込み戦死、1艇は湾外で座礁し、乗組員の2人は漁民に助けられながらマダガスカル島に上陸。母艦との合流地点である島北部に徒歩で向かったが、北部荒野で英国軍に囲まれ、降伏勧告に応じず、拳銃と日本刀しか持たぬ銃撃戦の末、殺害された。「特殊潜航艇」が戦果をあげたが、日本側にも4人の戦死者を出し、また戦線が延びることを望まなかった日本軍はさらなる上陸、攻撃は行わなかった。1997年現地に「特潜四勇士慰霊碑」が建てられている。
同国の面積は日本の約1・6倍、人口は2424万人でアフリカ大陸系、マレー系(有力な部族はメリナ、ベツィレウ)、その他の部族約18よりなり、宗教はキリスト教41%、伝統宗教52%、イスラム教7%である。日本の援助実績を見ると、2014年度までの累積は有償資金協力107億円、無償資金協力638億円、JICAの技術協力実績191億円。11年主要援助国は日本(1億9000万米ドル以下同じ)、フランス(7900万)、米国(5500万)、ドイツ(1400万)、ノルウェー(1300万)と日本の援助実績は群を抜いて多いが、いつものように認知度は低い。主要貿易品目をみれば輸出がニッケル、バニラ、丁字、ことにバニラは全世界生産量の60%以上をこの国が輸出している。輸入は資本財・原料、燃料、消費財、食料である(日本外務省ホームページより)。
世界162の国と地域を対象とした貧困層の人口割合(貧困率)の順位(CIA版)を見ると、1位はチャド、リベリア、ハイチの80・0%、スペイン99位の21・1%、日本は16・0%で120位、米国125位(15・1%)、フランス151位(7・9%)、マダガスカルは22位(50・0%)である。
15年での1人当たり名目GDP188カ国(IMFデータベース米ドル表示)に目を転じてみれば、米国7位(5万6083)、フランス23位(3万7653)、日本26位(3万2478)、中国76位(8140)、マダガスカルは185位(402)である。
世界銀行によればマダガスカル国民の約90%が1日2ドル以下の生活を強いられているといわれ、まだまだこれからの国である。
※ヴィシー政府:1940年6月フランスがドイツに降伏後、ペタン内閣はフランス中部Vichyに首都を置きドイツとの協調政策をとる。44年8月崩壊。

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