私の閉院後生活 2  PDF

野々下 靖子(乙訓)

山ほどある事務手続き

3月末で診療を終え、そのあとすぐ、診療所閉鎖届などが必要です。近畿厚生局、乙訓保健所、府医師会、医師国保、税務署、ハローワーク(雇用保険適用事業所廃止届)などです。それぞれ書式が異なりますが、どの役所でも親切に指導されました。これらの事務手続きはほとんど府医師会で教えていただきました。そのほか年会費の高い所属学会も退会届を急ぎました。かつて学校医をしていましたが、乙訓医師会で校医70歳定年制を提案し、70歳の時、若い先生にバトンを渡しました。公的な委員をしておられる先生方は、閉院する何カ月か前に予告する必要があると思います。
地域の方たちは閉院をご存知でしたが、一応閉院のお知らせと次のカフェ開設チラシを作り配布しました。
さて、職員は閉院してすぐ退職というわけにはいきません。事務職は3月分のレセプト。看護職は前回に書きましたカルテ整理を手伝ってもらわねばなりません。何しろ1973年からのカルテの山です。薬剤、医療機器の整理と廃棄。初めてのことで、しかもノウハウを知るための資料もなく大変苦労を重ねました。家庭ごみの処理のようにはまいりません。医療廃棄物をどこに頼めばいいかは協会に相談しました。
予想外だったのは診察机・ベッドを含めて諸道具の廃棄処分でした。残薬および医療器具の廃棄は保事協に依頼しました。患者さんの生涯カルテにしたため、患者数は多くないのにカルテが山ほどあり、大型スチールの引き出しを使用していました。まだまだ使えるのに廃棄物です。後になって、スチール家具については専門の業者がありインターネットで探せばよいが、業者の法的資格を確認して選ぶ必要があるとのことです。ヤフーオークションに出すという方法もあると助言されましたが、今や遅し! 私は次のカフェのための工事を始める日までに室内をカラッポにする必要に迫られて、全く時間的余裕がありませんでした。低価格でも販売して収入を得るのと廃棄費用を支出するのとでは差があり、調査不足で失敗です。
従業員の再就職先を当たらなければという思いは持っていましたが、自分たちでしっかり見つけ、私自身はそのためのエネルギーを全く使わず済みました。
従業員の退職金・改造費・カフェのための新しい諸道具購入等は前もって見積もり貯金をしていましたが、廃棄費用は見積もり不足で貯金では賄えず、私個人の老後費用を使うことになりました。つまり、収入ゼロで支払いばかりが続きました。
狭い診察室を改造し、認知症の人・家族・地域のボランティアが集まれる場にしなければなりません。看板は野々下医院からけやきの家(認知症カフェ)に変わりました。テーブルは私のあこがれの欅の1枚板です。椅子は5脚入れたところで予算切れ。見かねた知人から閉鎖する喫茶店を紹介され、とても素晴らしい椅子を8脚頂戴しました。かかわる知人たちから「見てられへん」と多くの助けをいただき、どうにかカフェができ上がりました。

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