私の閉院後生活 1  PDF

野々下 靖子(乙訓)

「医院を閉院した後の生活が想像できない…」「閉院の際にはどんな事務手続きがあるのだろう?」などの声が、会員から寄せられている。これを受けて、先輩方の経験談を語っていただくことにした。第1弾として、15年3月に医院を閉院し、同年に認知症カフェを開設された野々下靖子氏(乙訓)に、閉院時の苦労やカフェ開設の奮闘などを全3回で執筆いただいた。

診療は卒業!

2015年3月31日、野々下医院の診療を終えました。
1973年(昭和48年)4月から一時の休診期間を除いて、当地での実働はほぼ40年でした。西山山麓の竹藪を切り開いて作られた73年当時の新興住宅団地です(初回開業は向日町で68年12月でした)。
5~6年前から、80歳になったら閉院し、その時点でエネルギーがあれば別のことを始めようと考えていました。その気持ちは患者さん達に漸次伝え、彼らからも「80歳まで働いたら、もうかんべんしたるわ」と言われ、その時はこの診察室を開放して「みんなのたまり場」にしようと話し合っていました。
15年年明けから、閉院計画と認知症カフェ開設計画を同時進行で進めました。まず第一に、診療情報提供書です。3月に発行できるようパソコンで下書きを始めました。ごく僅かですが開院時から40年余り通院の方もおられます。高齢の方の場合は寝たきりになることも考えて、往診を活発にしておられる若手の先生に紹介しようと考えました。当然するべき仕事とはいえ診療情報提供書をその方の受診日に合わせて発行することはとても大変でした。
第二はカルテの整理です。医師は医師法第24条で5年間の保存が義務付けられています(*1)。まず、今後も参考にしたい特別な症例は抜き出しました。次にここ5年間来院していない方のカルテはシュレッダーに。あとは最終来院月別に箱に分け入れ、念のためシュレッダーに回す年月を箱の目立つところに書いておきました。
このとき大変困惑したことがあります。患者さん各個人の記録の残すべき範囲です。当院のカルテは厚紙の二つ折りを表紙とし、間に2号紙を挟む形式で、各患者さんの初診から現在まで綴じています。ごく一部の方はほとんど40年分ですからさすがに挟めなくて、別の袋に入れカルテ棚に保存していました。その2号紙のどの範囲を保存すべきかが判断できなくてあちこち問い合わせました。結局生涯全部ではないかということで、40年にもわたって診療をしてきた患者さんの保存カルテの嵩を減らすのは容易ではありませんでした。
並走でカフェ開設の準備をしていたこともあり、混乱することもたびたび。一度聞いただけではわからなくなることもあるので、閉院に向けてのマニュアルなどがあればよかったと思う次第です。

(*1) (医師法第二十四条) 1 医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。
2 前項の診療録であつて、病院又は診療所に勤務する医師のした診療に関するものは、その病院又は診療所の管理者において、その他の診療に関するものは、その医師において、五年間これを保存しなければならない。

野々下医院の外観

野々下 靖子氏履歴
1935年、京都市(鹿ケ谷)生まれ。59年に関西医科大学卒業し、60年に精神神経科学教室へ入局。68年に出産退職し、同年に向日町(当時)で内科・小児科・精神科の医院を開業した。73年に医院を長岡京市へ転居。15年3月に野々下医院を閉院。同年9月にけやきの家(認知症カフェ)開設、現在に至る。2002年、地域医療の先端的活動に対して森本賞医療功労賞を受賞。

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