天道是邪非邪 2  PDF

小泉 昭夫 京都大学医学研究科環境衛生学分野教授

大坂の陣の高齢者

織田信長の愛した「敦盛」にある「人間五十年、…夢幻の如くなり」の影響か、近世の人々の寿命を50歳前後であると決めつけるきらいがある。
いまNHKで放映されている「真田丸」で、三谷幸喜による種々の新規の解釈は面白い部分も多いが、「それは無理」も存在する。その最たるものが、登場人物の年齢不相応なキャラクター設定と若すぎる容貌である。
まず、淀君である。三谷真田丸では、幸村に思いを寄せる妖艶な女性に描かれている。しかし、これは無理筋。医学天正記(曲直瀬玄朔著)では、淀の精神状態は、秀吉の死後、急速に悪化する。病歴に「鬱」と記載されている。特に、家康が右大臣に昇任した後(慶長8年、1603年)に、秀頼が後継者として内大臣に任命された時点から、目下であることが公然となり、淀の苦悩が始まる。不眠、食思不振、動悸が生じている。淀は、1569年生まれと考えられているので、34歳。したがって、竹内結子が演じる妖艶で、わがままな淀ではなく、実像は、線の細いとがった神経質な、周囲から「大丈夫?」と案じられるイメージである。いよいよ徳川との関係も悪化し、一戦も覚悟し始めた慶長19(1614)年には、淀は45歳であり、大坂城に籠城した真田幸村(1567年生)は、47歳である。その他、後藤又兵衛は1560年生まれであり54歳である。
さらに無理筋は、真田幸村の首をあげた越前藩士西尾宗次であろう。彼はさらに高齢と考えられる。越前藩給仕帳によれば、2次高天神城の戦い1581年において、徳川軍に包囲された高天神城からの脱出組である。1550年半ばの生まれと考えられる。脱出の後に結城秀康に出仕、700石取りで越前藩にかかえられる。しかし、時は戦乱から平和の時代に移りつつあり、彼の職能の必要性は低下。大坂夏の陣では、60歳以上と考えられ、武闘派としての彼はあらたな高名が求められた。大坂夏の陣では、実に13もの首をあげ(「『大坂夏の陣越前兵首取状』について」渡辺武著、1965年、大阪城天守閣紀要)、そのうちの一つが、真田幸村の首である。若手俳優の起用はあり得ない。
こう見ると、大坂夏の陣は、戦乱が収まり職を失いつつあった高齢武闘派による最後の高名の場と考えられ、日本における「ドン・キホーテ」(1605年初版)でもある。真田幸村も平和時には無用の武闘派であり、思慮のある反骨者として描くことはそもそも無理筋と思われる。

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