裁判事例からの考察(2)  PDF

救急での応召義務違反 連絡・対話の齟齬に始まる

 応召義務違反に関わる事例を紹介する(今期分3)。
 1989年11月15日午後8時10分、Aは、普通車運転走行中、反対車線の対向車と正面衝突した。8時12分救急車の出動が命じられ、現場より約200mのS日赤病院(第2次救急)に搬送した。医師は車内で診察して第3次救急患者と診断した。救急隊員は8時34分その旨を報告し、管制室はK市立のK病院(第3次救急)に連絡し、受入れの可否を諮問した。「交通事故で、20歳の男性ですけど。乗用車同士の接触。打撲は、外傷は大したことはないのですが、ちょっと意識が混乱していて、レベル30程度」。受付担当者からは、「呼吸・心拍は異常なしですか?」と。(管制室)「丁度S日赤の入口なんですわ。そこのドクターの診察では3次が必要というとるんですわ」。(受付)「3次?ちょっとお待ちください。…今夜は整形外科も脳外科もないということです…ちょっとこちらの方ではとれないということです」。(管制室)「無理ね、それやったら仕様ないね。はい、わかりました」。当時、両科の医師は、宅直中の不在で、当院へは各々45分、60分を要する状況にあった。
 管制室は、K大学病院(第3次救急)に架電したが手術中で断られ、8時43分H県内のN病院(第3次救急)に連絡して受け入れられ、9時13分ころ到着した。このとき心肺停止し、救急救蘇生された。両側開胸手術の準備がなされ、翌日午前1時ころから6時ころまで開胸手術がなされたが、術後6時50分呼吸不全で死亡した。
 そこで、故Aの遺族5人は、K病院の当直医師が連絡時に正当な理由なく受け入れ拒否した診療(応召)義務違反により、同院で適切な医療を受ける法的利益を侵害され被った肉体的・精神的苦痛への慰謝料として、二百万円をK市に請求して提訴した。なお、K病院は、当時、第3次救急医療機関として、当日午後5時から翌日午前9時までは、救急担当医師3人、専門医師9人(内2人宅直)、監督者医師1人の計13人の勤務があり、その機能を果たしていた。
 裁判所は、本件受傷と関連の診療科目である外科の専門医師が在院しており、当時いかなる診療に従事していたのか、また、受付担当者からの連絡がどの医師になされ、いかなる診療に従事していたか、の釈明を求めた。
 しかし、病院側は職員の士気に関わるとの理由から回答せず、当時の受付担当者および診療拒否を指示した医師の氏名の特定も証人申請をも拒否し、受付担当者に事情聴取した記録の証拠提出もなく、「正当事由(医師法第19条1項)」の立証なく、診療拒否と認め、K市に慰謝料百五十万円の支払いを命じた(神戸地判平成4・6・30)。
 診療に関して、すでに「3 大病院においては、受付を始めとし、事務系統の手続が不当に遅れたり、或いはこれらのものと医師との連絡が円滑を欠くため、火急を要する場合等において、不慮の事態を惹起する虞があり、…、この点特に留意する必要がある」(昭和24・9・10医発752、厚生省医務局長通知)との批判・注意もある。
 (医療安全対策部会 宇田憲司)

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