直接会った人は知っているだろうが、筆者はADHD(多動症)の傾向が強い。
落ち着いてじっとしていることができず、いつもガサゴソしている。整理整頓ができない。同じようなことの繰り返しはイヤで変化を好み、いろいろなことに関心が移る。締め切り間近までエンジンがかからず、一気に集中してギリギリで仕上げる。
注意欠如や衝動性は大きくないが、小学生のころは忘れ物が多く、行儀が悪いので、しばしば廊下に立たされた。いま思えば、型にはめようとする学校での生活を、よく辛抱していたものだ。
長所を挙げるなら好奇心、探求心、臨機応変、度胸、アイデアといったところか。
振り返ると、毎回違うことをやる新聞記者として働いたことも、会社を辞めてから起業したことも、自分の性分に合っていたようだ。
人間の性質は、環境や教育の影響もあるけれど、基本的には、持って生まれた遺伝子で決まる部分が大きい。同じ家庭で育ったきょうだいでも、それぞれに性質が違う。
人類史的に見ると「多動型」は、獲物を探して歩き回り、状況に応じて機敏に対処する狩人に適していたようだ。現生人類がアフリカを出て世界へ広がったのは、新しいことをやりたがる多動型の人間がいたからだという説もある。
違うタイプの人々もいる。
「こだわり型」は、変化を嫌い、興味のあることに没頭する。対人コミュニケーションは上手ではない。この傾向が強いとASD(自閉症スペクトラム症)と診断されることもある。しかし特性を活かせば、職人、技術者、研究者、芸術家などに向くだろう。このタイプの天才は科学者や画家をはじめ、けっこういる。
日本人に多いのは「協調型」かもしれない。地道な作業でも、飽くことなく積み重ねる。人間関係の円滑を大事にして、秩序を好む。
農耕社会では、根気のいる労働と集団内部の協力が欠かせないので、主流になっていったのだろう。
このタイプは障害とされないが、それはそれで1つの偏りではなかろうか。
力を合わせ、組織を作って運営する力を持つ。チャレンジをあまり要しない勤め人には向いている。悪いほうへ向かうと官僚的、保守的になる。協調型でも、そこに疑問を抱く人はストレスがたまる。
「心配型」の人もいるかもしれない。程度が強いと強迫症、不安症と診断される。こわがりは弱点に映るが、無謀な行動へのブレーキ役になる。災害や犯罪への備えをはじめ、危険の回避に役立つ。
どのタイプも、はっきり線引きできない傾向(スペクトラム)であって、程度の差は大きい。複数の傾向を併せ持つ人もいるだろうし、ほかのタイプもあるかもしれない。
発達障害の診断が増え続けているのは、協調型が自分たち以外を障害と見るようになったのかもしれないし、実際に特性傾向の分布が変動しているのかもしれない。
いろいろなタイプの人間がいることが多様性であり、集団としての強みになる。
協調型だけを「普通」とみなす世の中は面白くない。
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