かんぽう趣談 七 田中 寛之(舞鶴)見た目が何割?  PDF

 『人は見た目が9割』という本がベストセラーになった。
 人が他者を評価する際、言葉よりも非言語的な情報(見た目、声、態度など)が大きく影響する、という考え方が紹介されている。
 なるほどなあ、と思う。「人は見た目によらない」という慣用句もあるが、やはり見た目は大切である。おそらく同じような感想を抱いている人が多いので、本もよく売れるのであろう。
 漢方の診察法に四診というものがある。望診、聞診、問診、切診の四つである。望診は見ること、聞診は音を聴いたり匂いを嗅いだりすること、問診は話を聴くこと、切診は脈や腹に触れること、である。
 この四つの診察法を総合して病気の診断を行うのだが、その重要度の割合はどうだろう。望診2割、聞診1割、問診5割、切診2割くらいであろうか。漢方であっても、やはり一番大切なのは患者が語る症状や経過であるように思われる。
 ところが並外れた名医ともなるとそうではないらしい。

 古代中国に扁鵲という医者がいた。
 ある時、斉の桓公に拝謁することがあった。扁鵲は桓公を一目見て言った。
 「貴公は病気に罹っておられます。今なら病邪は体表にあるので治療を受ければ治ります」
 体力に自信のあった桓公は一笑に付した。
 5日後また扁鵲がやって来た。
 「病邪は血脈まで進みました。治療しないと大変なことになります」
 桓公は不機嫌になって扁鵲を追い払った。
 さらに5日後また扁鵲がやって来た。
 「病邪は臓腑まで進みました。今治療しないと手遅れになります」
 桓公は相手にしなかった。
 さらに5日後、扁鵲は現れたが、今度は何も言わずに退出しようとした。不審に思った桓公が呼び止めたが、扁鵲は言った。
 「病邪は骨髄まで進みました。もう治りません」
 さらに5日後、桓公は倒れた。そして後悔しながら死んだという。

 まさに「人は見た目が9割」である。
 現代でも、パーキンソン病、うつ病などの典型的な病状の時は、患者が診察室に入って来る様子だけで診断がつくことがある。豊富な知識と臨床経験を持ち、「センス」や「第六感」に優れた人ならばその範囲が広いのであろう。
 私のような凡医は、地道に患者の話を聴いて、丁寧に診察を行い、じっくり考えるしかないのだが……。

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