かんぽう趣談 四 田中 寛之(舞鶴)葛根湯医者になりたい  PDF

「葛根湯医者」という落語の演目がある。
 ある町医者の所に患者がやって来た。頭が痛いという。医者は言った。
 「そいつは頭痛という病気だ。葛根湯を出しておくから飲んでおきな」
 別の患者がやって来た。腹がチクチク痛いという。医者は言った。
 「そいつは腹痛という病気だ。葛根湯を出しておくから飲んでおきな」
 また別の患者がやって来た。足が痛いという。医者は言った。
 「そいつは足痛という病気だ。葛根湯を出しておくから飲んでおきな。ところで隣にいるのは誰だい?」
 「兄貴が付き添いに来てくれたんです」
 「ご苦労だな。まあ葛根湯でも飲んでおきな」
 という話である。要はいい加減な医者を揶揄する笑い話である。

 が、別な見方もできる。ご存じの通り葛根湯は風邪薬ではあるが、肩こりにも効く、喘息にも効く。その他の使い方もできる。一種類の薬でもいろいろな病気に応用できる医者は腕がいいと言える。
 江戸時代の名医、和田東郭もこう言っている。
 「薬の運用というのは自在でなければならない。これは脱肛の薬、これは下血の薬というふうに病気別に薬を使うのではだめだ。たとえて言うならば、すり鉢は灰を入れれば火鉢になり、土を入れれば植木鉢になる。水を入れると水鉢に、逆さまにすれば踏み台にもなる」
 全くおっしゃる通りである。
 さらにはこうも考えられる。名医・葛根湯医者は、そもそも薬なんてどうでもよかったのではないか。患者を診て、話術と態度で治したのだ。葛根湯はあくまでプラセボである。
 現代でもこれは当てはまる。皆さん実感されているように、無治療で治る病気は多い。しかし、患者さんの手前、なんとなく不要かもしれない薬を処方してしまう。
 そこをグッとこらえて余計な処方はしない。しかも患者さんに満足感と安心感を与えながら。
 そんな「葛根湯医者」にいつかなりたいものである。

ページの先頭へ