最後の浮世絵師 月岡芳年の魅力 武田 信巳(西京)第6幅  PDF

芳年は明治初期、すでにグルメスポットやガールズバーの宣伝を請け負っていた?

美人風俗画揃物の範疇に入るだろうが、明治10年から11年(1877〜78年)の同時期に出版された「皇都会席別品競〈ルビ/こうとかいせきべっぴんくらべ〉」の内、「小挽町・曽田屋〈ルビ/こびきちょうそだや〉」(図1)と「見立多以盡〈ルビ/みたてたいづくし〉(尽)」の中の「おしゃくがしたい」(図2)を観てもらいたい。前者では題簽〈ルビ/だいせん〉(外題・題名を入れて貼り出す紙片や枠)の形は今戸焼〈ルビ/いまどやき〉(江戸から明治時代に東京の今戸で製造されていた素焼きの土人形や郷土玩具および寺社の縁起物で、調べてみると現在では白井窯元1軒だけが伝統を守っている)の招き猫の輪郭で、中に外題〈ルビ/げだい〉と東京の有名料亭名および場所を記している(図3)。この場合は小挽町の曽田屋だが店先で女性二人、右側の吾妻屋ことしと左側の武蔵屋国助とが着物の裾すそを少々、端折〈ルビ/はしょ〉り(たくし上げ)何事か、声を掛け合っている。絵の詳細を見ると、絵師・落款は応需大蘇芳年と補筆年雪となっているため直々もしくは版元の小林鉄次郎を通じて、言わば飲食店プロモーションを依頼〈ルビ/おおじゆ〉され描いたと思われる。
一方、後者は全二十図で表記以外の小生所蔵作品は「どうかかちたい」「てがあらいたい」「もうひとつのみたい」「いっぷくのみたい」「よいのがだしたい」などで画題には全て「〜したい」が付いている。題簽は細長い四角形で赤・白・緑の綺麗な三色関防〈ルビ/さんしょくかんぼう〉がよく残っており(図4)、明治時代初期の娘・女房・芸者・遊女などの日常の仕草を写し取ったものであまり評価されていないが小生好みの錦絵である。
話は脱線するが女性バーテンダーとしてカウンター越しにお酒を提供する分類上、飲食店とインターネット記載があったいわゆるガールズバーには行ったことがないし恐らくその機会もないが、少なくとも賛文が語る昭和チックな「おしゃくがしたい」のようなすでにお酒が少し入っているのか頬から眼元がやや紅潮している比較的若い女性にわずかに覗く整った可愛い前歯で着物の袂〈ルビ/たもと〉を咬みつつ御酌を勧められると、きっとそのような稀有〈ルビ/けう〉な仕草は小生は見たことがないので一献〈ルビ/いっこん〉も飲むことができず、むしろそれを一瞥〈ルビ/いちべつ〉しただけで稲妻の如くの喜びの余り卒倒昏睡すると察する。このような時はいつも「くわばら桑原…」と呪文を唱える。いまだ菅原道真の領地だった京都市中京区桑原〈ルビ/くわばら〉には雷が落ちないと妄信しているので…。

(図1)月岡芳年
皇都会席別品競こうとかいせきべっぴんくらべ「小挽町・曽田屋」(号は芳年のみ)
(図2)月岡芳年
見立多以盡みたてたいづくし「おしゃくがしたい」(号は芳年のみ)
(図3)題簽(右上部)は今戸焼の招き猫の輪郭
(図4)題簽(右上部)は赤・白・緑の綺麗な三色関防

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