鈍考急考 61 原 昌平 (ジャーナリスト)  PDF

人生の多くは「たまたま」に左右される

 看護系大学の非常勤講師をしていたとき、レポートの課題に、こんなテーマを出した。
 〈貧困は自己責任、病気は自己責任という考え方の人がいたら、あなたはどんな意見を言いますか?〉
 多くの学生は、貧困が単純に自己責任と言えない理由として、生まれた国、家庭環境、社会の構造や状況を挙げた。
 その通りだが、見落とされがちなことの一つは、個人の生来の能力差である。
 軽度の知的障害を含め、持って生まれた能力差は明らかに存在する。勉強すれば必ずみんな試験で高い得点を取れるわけではない。体格、筋力、外見、気質、歌唱力なども生まれつきの差は大きい。
 もう一つ、見落とされがちなのは運不運だ。まじめに暮らしていても、人生の途中では、自分の思い通りにならないことが起きてくる。
 事故、災害、犯罪被害、家族の死、勤務先の倒産などはたいてい、努力しても防ぎようのない不運である。
 パートナー、友人、恩師といった人とどうやって出会うかは、たまたまの要素が大きい。情報、書物、音楽、食べ物も、偶然に接することがよくある。仕事がうまくいくかどうかも運不運がつきまとう。
 病気の自己責任論についてはどうか。学生のレポートでは、新型コロナをはじめとする感染症、先天性疾患などを挙げる人が多かった。
 病気のなりやすさ・なりにくさも、もって生まれた個人の体質に大きく左右される。
 加齢という大きな要因や、有害物質・労働条件などの環境要因、病原体感染もある。
 この点で「生活習慣病」という一面的な用語がもたらした悪影響は大きい。日本学術会議が2月に開いたフォーラムでは、「生活関連病」にしようという意見が出ていた。
 ギャンブル、過剰な買い物、アルコール、たばこなどによる貧困や病気について、自己責任と書いた学生もいたが、それらは依存症という病気のことが多い。自分自身をコントロールすることは、けっして容易ではない。
 自己責任という見方は、苦境に陥った人を自業自得だと責め、助ける必要がないと切り捨てようとする。このごろは、他者を責めたがる人々が増殖していて困ったものだ。
 人間は、いろいろな事象に因果関係や必然性を見いだそうとする。法則性を探ろうとする遺伝子や文化は生存確率を高めるのに役立ってきただろうが、何でもかんでも因果関係があるように思うのは、一種の認知バイアスである。
 現実は複雑で、偶然の要素が大きい。非線形の数学でいうカオス。バタフライ効果(わずかな変化がその後の状態を大きく変える)もあったりする。厳密な原因解明や未来予測は不可能という認識が現代科学の到達点である。
 日本では、因果応報という仏教思想の影響が、因果論を強めているのかもしれない。
 イスラム教徒がよく口にする「インシャ・アッラー(もし神が望んだならば)」という言葉は、人間の力の限界や偶然性を重視している。
 私たちも、もう少し、インシャ・アッラーの精神を取り入れたほうが、楽に生きられるのではなかろうか。

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