対抗軸を探る 11  PDF

神戸大学名誉教授 二宮 厚美

現物給付か現金給付かをめぐる新たな対抗軸
石丸・玉木・斎藤現象が示すもの

 社会保障による社会サービスの給付形態は、周知の通り、現物給付方式と現金給付方式の二形態に分かれる。現物給付サービスの代表は公衆衛生・保健、義務教育、そして現代日本では医療保険である。これに対して、現金給付の代表は年金、生活保護、介護保険である。前者の現物給付とは「現物給付」という名前が災いして、世間では保育・教育・ケア・医療など専門的サービス労働一般を現物の形態で支給することだと理解されているが、この解釈は厳密に言うと、社会保障論では誤りである。
 医療・ケア・教育などの社会サービスの現物給付とは生存権や教育権、受療権等の社会権の保障に必要な社会サービスをまるごと公的に保障することを意味する。簡単に言うと、「必要充足の原則」に基づいて、教育・医療・ケア等のサービス労働および労働手段(器具・医薬品・施設等)を国民に保障する方式である。これに対して、現金給付とは文字通り現金(貨幣)を支給すること、つまり、個々人は原則として生活に必要な財貨・サービスを市場から買い取り、その消費・利用によって生活を営むことを前提にした上で、それら生活用品・サービスの購買に要した費用の一部を現金で補償する、つまりお金を支給して各自の可処分所得を補填・維持する方式である。
 現代日本の現物給付の典型は義務教育、現金給付の典型は年金であり、その他の社会サービスで言えば、医療保険は現物給付、介護保険は現金給付の形態に属する。世間では医療保険と介護保険は互いに医療・ケアのサービス給付に関わる点では似たようなものだから、両方とも現物給付形態の社会保障と理解されがちだが、これは誤解である。だが、現代社会の「新自由主義か、それとも新福祉国家か」の対決軸に則して言うと、この現物給付と現金給付の原則・形態上の区別・差異は極めて重要な意義を持っている。
 端的に言えば、新自由主義の特徴は現物給付形態の社会サービスを現金給付形態に転換し、かつ、現金給付による社会保障の範囲を可能な限り縮小し、人々の生活を自立・自助の市場社会に再包摂しようとする点にある。この新自由主義的政策は現代日本のように、多くの人々の可処分所得が年々減っていく貧困化が進行していく場合にはその貧困層の関心を引き、受け入れやすくなる。
 このことを示したのが、昨年後半期のSNS選挙の三連発効果、すなわち「石丸・玉木・斎藤現象」の発生であった。「石丸・玉木・斎藤」トリオによるSNS選挙の三連発勝利は玉木国民民主が掲げた「手取りを増やす」という短絡的スローガンが示しているように、いずれも新自由主義的バックラッシュ(歴史的反動)が若年世代に浸透しつつあることを物語るものであった。「玉木国民」の
言う「103万円の壁」「ガソリン減税」、また、吉村・前原維新の掲げる「高校授業料の無償化」「社会保険料の引き下げ」等は上記の新自由主義的現金給付策に沿った政策であり、夏の都議選・参院選をにらんだ維新と石丸の接近は、野党陣営において、新自由主義勢力の合従連衡が進行中であること示すものである。
 注意すべきは、「石丸・玉木・斎藤現象」に並行して、教育・ケア・医療の現物給付の縮小再編が進行していることである。最近の介護報酬の引き下げ、介護事業所の倒産、教育・ケア・医療スタッフ不足の進展等はこれを示す。いま私たちはあらためて、社会保障の原則に関わる「現物給付か、現金給付か」の対抗軸を見据えて世相の動きを判断していかなければならない。

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