7月28日開催の第77回定期総会で、京都先端科学大学教授の山本淳子氏を講師に講演会を開催した。以下、概要を紹介する。
京都先端科学大学教授
山本 淳子氏
やまもと・じゅんこ●平安文学研究者。主な研究対象は『源氏物語』作者・紫式部の人生と作品、またその時代背景となった一条天皇の時代。1960年石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』(朝日新聞出版)でサントリー学芸賞受賞。2015年『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』(朝日新聞出版)で古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部日記 現代語訳付き』『枕草子のたくらみ―「春はあけぼの」に秘められた思い』『紫式部ひとり語り』など多数。近著に『道長ものがたり』。また2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」について、WEBマガジンの「NHKステラnet」において「山本淳子の平安ドラマチック」を連載中。
光源氏がもがき続ける先には…
『源氏物語』のおもしろさ
源氏物語は大変有名ですが、長い物語ですので、題名しか知らない人も多いと思います。源氏物語が世の中に存在すると初めて記録されたのは、西暦1008年11月1日の紫式部日記の回顧録です。紫式部が仕えていた御后が男児を出産し、50日経ったお祝いの場で、藤原公任<ルビ/ふじわらのきんとう>(今でいう閣僚で、和歌や漢詩に造詣が深く、文化の重鎮と言われていた)が「若紫はお控えかな」と紫式部に声をかけました。当時の閣僚級の人が知っているほど、すでにその頃には源氏物語が広まっていたことが分かります。それから千年後の2008年11月1日に源氏物語千年紀記念式典が京都で開催されました。この式典で11月1日が古典の日と制定されました。源氏物語は多くの国で翻訳され、今年はNHK大河ドラマで放送されるなど、今もその面白さは伝えられています。
源氏物語は光源氏という恋多き人物が主人公です。物語ではさまざまな女性が登場します。まずは、お手元の資料で物語に登場する女性のタイプをゴールにした性格当てクイズをしてみて下さい。Yes、Noで答えていただく、お遊びです。「自分の気持ちを素直に表現できるか」「お嬢様、お坊ちゃまタイプというより、庶民派だ」「子どもや動物などかわいいものが好き」などの質問があります。ゴールには「紫の上タイプ」「朧月夜タイプ」「夕顔タイプ」などがあり、案外当たると好評です。この質問は源氏物語の登場人物の特徴を踏まえています。つまり紫式部が源氏物語の中で個性的な女性たちをしっかり描き分けていると言えます。
次々に恋を繰り返す光源氏
紫式部の本名は分かりません。大河ドラマでは「まひろ」と名付けられています。ドラマでは、「まひろ」が飼っている小鳥が逃げ、追いかけて行った先で藤原道長に出会うシーンがありますが、ドラマ上の創作です。これは光源氏が幼い若紫と出会う源氏物語のワンシーンを踏まえたドラマと強く印象づけるシーンになっています。
源氏物語は面白おかしい恋物語としてだけではなく、実は深い物語です。天皇の子どもである光源氏。光はあだ名、本名は源みなもとです。母の身分が低かったために、光源氏は天皇にはなれない運命でした。将来を閉ざされた光源氏は闇雲に過激な恋を繰り返します。光源氏の初恋は父の御妃の一人、母にそっくりの女性でした。光源氏は18歳の時にその御妃と密通し、男の子が生まれました。男の子は天皇の子どもとして育てられ、後に帝になります。その子が大きくなり、自分の父が光源氏だと知ってしまいます。そして光源氏が自分に真摯に仕えていたのは臣下だからというだけではなく本当の父だからと悟るのです。そこには親を慕う子の愛情も描かれています。帝は光源氏に天皇になってほしいと言いましたが、光源氏は断ってしまいます。最終的に准上皇の立場ならばということで納得します。
晩年、光源氏は紫の上以外の若い妻をめとりますが、その妻に密通されてしまいます。かつて自分が密通したことがそっくり返ってくるのです。その後、長年の妻である紫の上とも死別します。このように、光源氏は人生をもがきながら、思いがけず最高の地位に就き、しかしその地位に就いた故に人生の報復に合い、出家するという物語です。
光源氏の初恋の相手は藤壺。光源氏が12歳で結婚した相手は葵の上。恋の冒険の一人目は人妻の空蝉。そして、秘密の恋の相手で謎の女性の夕顔。美少女の若紫。兄の婚約者の朧月夜。光源氏は11歳(数え年で12歳)で葵の上と結婚しますが、16歳の葵の上は年下で天皇になれない光源氏を見下し、冷淡な態度を取ります。傷ついた光源氏は空いた心の穴を埋めるために恋を繰り返していくことになります。
恋とは手に入らない存在を求める気持ち
恋とはいったいどんな気持ちでしょうか? 愛とはどう違うのでしょうか?
「恋は下心、愛は真心」
それも素晴らしい答えではありますが、平安時代の恋はそのようなものではありません。現代人も恋しいという言葉を日常的に使いますね。故郷を恋しいと言う人は、故郷に住んでいるでしょうか? 故郷には住んでいない人だと思います。母が恋しいと言う人は、目の前に母がいるでしょうか? 遠くにいるあるいはもう亡くなっているかもしれません。つまり、恋とはここにいない存在、手に入らない存在を切なく強く求める気持ちです。奈良時代の万葉集では「孤悲」の漢字を当てました。
光源氏の恋の原点は母への思いです。光源氏の母は光源氏が3歳の時に亡くなります。そのため光源氏は母の顔も声も覚えていません。
光源氏に重ねた紫式部の思い
実は紫式部にも母との死別という原体験があります。幼い時に姉を亡くし、親友も亡くなってしまうなど大切な人を失う悲しい経験をしています。それでも紫式部は結婚し、夫とはけんかをするほど仲が良かったのですが、夫も結婚後わずか3年で病気で亡くなってしまうのです。何度も喪失体験を繰り返してきましたが、ついに夫が亡くなった時に紫式部の人生観は大きく変わってしまいます。人生とは何か、深く考えずにはいられなくなったのです。そこから創作活動にのめり込んでいき、自分の人生を取り戻していきます。そうして創り出した人物が光源氏です。光源氏は紫式部とは地位が違いますが、恋を通して悲しい気持ちを繰り返しています。光源氏には癒されたい、甘えたい気持ちがあったのです。彼の心は闇で、辛くて堪らないもがきの中で恋を繰り返していたのです。紫式部自身も大切な人を失う度に身代わりの人を愛する気持ちでしのいできました。
人は苦しくも恋し、愛し続ける。「それが人生」
光源氏に心の安らぎはなかったのでしょうか。幼い若紫を引き取って養育し、後に自分の妻にします。そして14歳になった若紫(紫の上)と結婚します。それは恋ではなく、愛です。愛とは今ともにあるものへの大切な気持ちです。しかし、物語は一筋縄にはいきません。紫の上と結婚した光源氏は紫の上に強く愛情を抱くあまり、その思いが愛執に変わり、紫の上を束縛してしまいます。それも愛の本質です。では紫の上自身は人生の最後まで幸せだったかというとそうではありません。結婚後はほとんど御殿の外に出してもらうことがありませんでした。紫の上は最晩年、「女ほど生き方が窮屈で哀れな者はない」と言っています。「したいことができず、言いたいことが言えなくて、どうして生きる張り合いがあるだろうか。人生の寂しさが紛らわされるだろうか」と。翌年、紫の上は病気で亡くなりました。
光源氏はついに愛の対象を失ってしまいます。光源氏51歳。過去にも未来にも味わうことのない悲しみを味わいます。その喪失感ほど辛いものはなかったのです。自分は成功者であったはず、しかしそれらは無力な虚飾でした。光源氏は1年以上引きこもります。真の光とは何か。そうしてたどり着いたのが仏教の真の光です。
生きるとは、恋もあり、愛もあります。恋は渇望、愛は執着。どちらも苦しい。苦の繰り返しです。それでは人は恋や愛をやめてしまうのでしょうか。それでも恋し、愛し、生き続けることが人であり、人生の普遍です。これが千年読み継がれている源氏物語なのです。
当日の質疑応答
源氏物語で一番読みやすいものは?
――角田光代氏の現代語訳は敬語がなく一番読みやすい。漫画であれば、『あさきゆめみし』(大和和紀・著)は絵が美しくお勧め。
紫式部が気持ちをストレートに書かずに、フィクションとして書いた動機は?
――自身の喪失体験だろう。架空の世界で人生を映し出したのではないか。