主張 温泉宿のもてなしに癒されて「ホスピタリティ」を再認識  PDF

 盛夏を過ぎつつあるこの時期、自ら夏休みに体感した「ホスピタリティ」について、我ながら再認識したことに一部でも共感していただければ幸甚である。
 「ホスピタリティ」が「思いやり」といった意味を持ち、サービス業界における接客の場面でよく使われることは周知の通りであるが、その語源は「客人の保護者」というラテン語「hospes=ホスピス」であり、「ホスピス」とは当時旅の道中で病気になった旅人に対して、修道院で看護を行うことを指す言葉から「ホスピタル」の語源となったこともご存じではなかろうか。
 さて、今夏休暇中、「秘湯」巡りで二カ所の全く趣の異なる宿を訪れる機会を得た。一つはご高齢の母堂とその息子がまさしく二人きりで全てを取り仕切るごく小規模な宿、もう一つは秘湯とはいえブームの波に乗った温泉街にある中規模の宿である。
 湯宿に赴き癒されたいという思いの通り、両者ともまさしく訪れて良かったと思える宿であったが、例えて言えば、前者は個人開業医、後者は患者の多い病院といった風情である。
 どちらもすこぶる好印象であった中、特に印象に残ったのは、前者の料理の提供、後者のお客への対応であった。
 すなわち、前者のたった二人で切り盛りする夕餉に、揚げ立ての天ぷらや焼き立ての魚は望むべくもないが、決して熱くないそれらの料理は冷めても味を損なわないよう驚くほどの工夫が施されていた。片や、後者のハイシーズンの人気の宿でありながら笑顔の女将を頂点に、人手不足で雇われたであろう外国籍の若人たちが日本的もてなしを具現するべく、爽やかに働く姿に心が洗われる思いであった。
 「ホスピタリティ」の本質は、行き届いた掃除、温かみのある受付の雰囲気、明るい対応などの努力と工夫から「ここに来て良かった」「ここに来ると癒される」といった感情を醸すものであり、「顧客の要求に応える」という「サービス」とは一線を画するものであろう。
 医療機関として、癒されたい気持ちを抱きつつ来院する患者たちへの「ホスピタリティ」につながるよう今一度考えてみたい。

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