福祉国家構想研究会 対抗軸を探る6 琉球大学人文社会学部教授 二宮 元  PDF

新自由主義からの脱却に向けた地域の試み
― イギリスでの実践から何を学ぶか

 現在、イギリスでは5年ぶりの総選挙が行われている。世論調査では、野党労働党が与党保守党を大きくリードしているため、2010年以来14年ぶりに政権交代が起こり労働党政権が誕生するのではないかと予想されている。ただ、政権交代がイギリス政治に大きな変化をもたらすかというと、必ずしもそうではなさそうだ。
 労働党は、2015〜19年の間コービン党首の下で明確に反新自由主義路線を掲げていたものの、その後党首の座に就いた現党首スターマーの下で政策の中道化を図り、大企業や富裕層を意識したビジネス寄りの路線へと舵を切ってきた。実際、今回の選挙に際しても、コービンをはじめとして党内の数名の左派議員を公認候補として認めない「左派パージ」が行われており、スターマーは労働党政権の誕生が経済界や富裕層にとっての脅威とならないことを懸命にアピールしようとしているように見える。こうした点からすると、労働党への政権交代が起きたとしても、長らく続いてきた新自由主義政治からイギリスが脱却する見込みは薄そうだ。
 しかし、かつてコービンを労働党党首に押し上げた新自由主義に対抗する力や運動が消えてしまったのかというと、そうではない。地方自治体レベルに目を向けると、新自由主義から脱却し自律的な地域の経済と社会を立て直そうとする動きが着実に根を張りつつあるからである。
 イギリスでは、新自由主義の下で進行した地場産業の衰退と、2010年代以降の緊縮財政による地方支出の削減という二重苦に直面して、多くの自治体でさまざまな地域再生の試みが行われている。それら全てが新自由主義からの脱却を目指したものというわけではないが、グローバル化や大企業に抗して自律的で包摂的な地域経済と社会を再建しようとする自治体の取り組みが蓄積されてきている。
 その中でも、よく注目されているのがイングランド北西部の町プレストンで実践されている「プレストン・モデル」だ。このモデルの特徴の一つは、役所や病院、大学、警察、住宅協会などの公共的機関を地域に基盤を置く「アンカー機関」として位置付け、それらの公的機関に地域再生の核となる役割を担わせていることである。具体的には、アンカー機関が学校給食や病院の清掃や洗濯などの財やサービスを調達する際に地元業者を優先することで、公的予算を地域の外部に流出させるのではなく地元に還流させる仕組みがつくられている。さらにもう一つ重要なのは、公的調達の受け皿として協同組合や労働者所有を奨励・支援していることだ。利益を地元に還流させるだけでなく、地域コミュニティ全体に広く公平に分配していくことが目指されている。
 プレストン・モデルは、人口規模に比して大学など比較的に規模の大きな公的機関が複数立地していることなど有利な条件に支えられており、どの地域でも同じことができるわけではない。ただ、病院や学校といった日常生活を支える基盤的経済への公的介入を強め拡充していくことで、実際に地域再生が実を結んでいることは重要だ。コロナ禍で注目されたように、医療や介護、保育、教育といった社会サービスは、それらなくしては私たちの日常生活が成り立たなくなるエッセンシャルワークであると同時に、実は地域の基盤的経済を構成する中核的な分野の一つでもある。その意味で、社会サービス分野においてきちんと生活賃金が支払われるような労働条件が採用されているか、十分な環境的配慮がなされているか、あるいは利益の分配が公正に行われているかといった点を公的に管理する仕組みをつくることができれば、地域経済を自律的で持続可能な方向で再建する可能性が見えてくることになるのだ。

にのみや・げん 1977年、大阪府生まれ。琉球大学人文社会学部教授。専門は比較政治学、福祉国家論。著作:『福祉国家と新自由主義―イギリス現代国家の構造とその再編』(旬報社、2014年)、「新自由主義がもたらした災厄としての新型コロナ危機」(『前衛』2020年10月号)、「新自由主義とイギリス福祉国家」(『経済』2019年10月号)など。

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