万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 vol15 最終回 元裁判官が解説します  PDF

元大阪高等裁判所 部総括判事・弁護士 大島 眞一

医師の言動が訴訟に発展
症状との因果関係の有無で判断

1 はじめに

 今回が最終回です。医師と患者のトラブルについて考えてみます。事案は最高裁平成23年4月26日判決(判例タイムズ1348号92頁)です。

2 最高裁判決 平成23年4月26日

(1)事案の概要
 X(女性)は10年ほど前に、友人の男性からストーカーまがいの行為をされ、首を締められるなどの被害を受けました。XはY病院の精神神経科を受診し、その際、過去のストーカー被害などの心的外傷体験を原因とする心的外傷後ストレス障害(PTSD)に罹患していたにもかかわらず、A医師から誤診に基づきパーソナリティー障害(人格障害)との病名を告知されたことなどにより、抑えられていたPTSDが発現するに至ったとして、Y病院に損害賠償を求めました。
 問題となったA医師の言動は次の通りです。
 診察受付終了時刻の少し前頃に、XはY病院の精神神経科の受付に電話をかけ、「受付時刻に少し遅れるが診察してほしい」と依頼しました。応対した看護師から「用件が緊急でなく検査結果の確認のみであれば、次回にお願いしたい」旨を告げられると、Xは興奮した状態で診察を受けたいとの要求を続けました。看護師から報告を受けたA医師は検査結果を伝えるだけという条件で、Xと会うことを了承。A医師はXに対し、MRI検査の結果は異常がないこと、頭痛のコントロールが当面の課題であることを説明した上で、脳神経外科を受診するよう指示し、面接を終了しようとしました。
 しかし、Xがこれに応じず、自らの病状についての訴えや質問を繰り返したため、A医師は、「Xは人格に問題があり普通の人と行動が違う、Xの病名は人格障害である」などと発言。なおも質問を繰り返そうとするXに対し、「話はもう終わりであるから帰るように」と告げて、診察室から退出しました。
 XはY病院に対し損害賠償を求めて訴えを提起しました。東京地裁は請求を棄却しましたが、東京高裁はA医師の言動は違法であるとして約200万円の損害賠償を認容(平成21年1月14日判決)。Y病院は最高裁に上告しました。
(2)最高裁の判断
 最高裁は次の通り述べて高裁判決を破棄し、Xの請求を棄却しました。
 「A医師の言動は、その発言の中にやや適切を欠く点があることは否定できないとしても、診療受付時刻を過ぎて面接を行うことになった当初の目的を超えて、自らの病状についての訴えや質問を繰り返すXに応対する過程での言動であることを考慮すると、これをもって、直ちに精神神経科を受診する患者に対応する医師としての注意義務に反する行為であると評価するについては疑問を入れる余地がある上、これがXの生命身体に危害が及ぶことを想起させるような内容のものではないことは明らかであって、PTSDの診断基準に照らすならば、それ自体がPTSDの発症原因となり得る外傷的な出来事に当たると見る余地はない。そして、A医師の上記言動は、XがPTSD発症のそもそもの原因となった外傷体験であると主張するストーカー等の被害と類似しまたはこれを想起させるものであると見ることもできないし、また、PTSDの発症原因となり得る外傷体験のある者は、これとは類似せず、また、これを想起させるものとも言えない他の重大でないストレス要因によってもPTSDを発症することがある旨の医学的知見が認められているわけではない。
 以上を総合すると、A医師の上記言動とXのPTSDと診断された症状との間に相当因果関係があるということができないことは明らかである」

3 解説

 PTSDの診断基準としては、米国精神医学会のDSM―5と世界保健機関(WHO)のICD―11の基準があります。例えばDSM―5では、PTSDの心的外傷的出来事について、「実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受けるなどの出来事への曝露」というような、生命が危険にさらされるような強烈な恐怖体験を経験したり見聞きすることにより心に強い衝撃を受けて起こる精神的な後遺障害であると定義しています。
 本件で問題となっているA医師の言動が、右記の基準が想定するレベルの心的外傷体験に当たらないことは明らかです。他方、Xがかつて体験したストーカー被害などについては、右記の基準が想定する心的外傷体験であると見る余地はあり、東京高裁は、A医師の言動が「再外傷体験」となってPTSDを発症したと判断したものです。しかし、A医師の言動は、かつての心的外傷体験と類似せず、これを想起させるものでもなく、それによってPTSDの症状が発現したというのは無理があると思われます。
 そうしますと、A医師の言動とPTSDとの間に相当因果関係があるということはできないと考えられます(もともとA医師の言動が医師としての注意義務に違反するとした高裁の判断につき、最高裁は疑問を呈しています)。

4 おわりに

 最後に、個人的なことで恐縮ですが、私の病気に関することを記載してこの連載を締めくくりたいと思います。
 私がこれまでで最も困ったのは、京都地裁に勤務していた時に網膜剥離と虹彩炎を発症したことです。しばらくの間、京都府立医科大学附属病院の眼科に通院していました。私の視野の中に無数の黒点が現れ、まるで砂嵐の中にいるようで、見ようとしている物が黒点に遮られてよく見えない状態でした。処方されていた点眼薬を使用するとすっきり見えるのですが、しばらくすると、再び無数の黒点に覆われます。絶望的な感覚に襲われました。
 ひどく見えづらい状況になった時のことです。担当医の診察日ではありませんでしたが、医師を選んでいる場合ではないと思い、京都府立医科大学附属病院に駆け付け、別の医師に診てもらいました。医師は細隙灯顕微鏡で私の眼を覗き込みながら、「濁ってよく見えないなあ」とのこと。その日は、点眼薬を処方されて帰宅しました。
 翌日、私の携帯電話に「昨日の診察結果を見ました」と担当医から連絡がありました。点眼薬を差す回数を増やすようにとのこと。初診時の問診票に携帯番号を記入していましたが、担当医から直接連絡をいただいて驚いたことは、今でもよく覚えています。
 その後、ほどなく回復に向かい、現在に至っています。お世話になった方々にひたすら感謝です。
 医師の皆さまが今後もご活躍されることを願っております。(完)

過去の連載は保険医協会のホームページでご覧いただけます。
https://healthnet.jp/paper/

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