再び“エッセンシャルワークかブルシットジョブか”
国内外で最優先の課題に
2024年は元日から、再びエッセンシャルワークが脚光を浴びる中で始まった。「再び」とはコロナパンデミックの本格化以来、数年ぶりにエッセンシャルワークの確保が能登半島震災地域の緊急問題になったからである。地球的規模での温暖化の影響によって各種災害が慢性化している今日の世界・日本では、もはやエッセンシャルワークの整備・充実は有事の緊急時だけではなく、平時の定常的課題になっているといってよい。
天変地異による被災だけではない。広く世界全体に目を向けると、ロシアの軍事的侵略によるウクライナ全域にわたる戦災、またネタニヤフ政権イスラエルによるガザ地区パレスチナ人に対するジェノサイド(集団虐殺)が典型を示すように、天災だけではなく人災(=戦災)に備えるエッセンシャルワークの確保・充実の課題は、今や平和的生存権保障にとって、最優先の課題になっているといって過言ではあるまい。
憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存す権利を有することを確認する」と、平和的生存権を高らかに謳っている。この前文のキーワードは「恐怖と欠乏からの解放」であり、能登半島地震の被災者やウクライナおよびガザ地区の戦災者が共通して求めているものは、この「恐怖=欠乏からの解放」である。ここでは「恐怖」と「欠乏」は切り離された別物ではなく、互いに不離一体のものである。昔の、戦争が迫り来る時代の選択肢は「大砲(戦争)か、バター(福祉)か」という対決にあったが、現代日本の岸田大軍拡下の選択は「ミサイルか、エッセンシャルワークか」の対決にあるといわなければならない。というのは、エッセンシャルワーク(必要不可欠な労働)とは、憲法のいう「恐怖と欠乏からの解放」を担う労働、すなわちどの地域であっても震災・戦災時には緊急に必要となる「恐怖=欠乏からの解放」を担う仕事だからである。
2024年は能登半島地震から開始したが、世間は震災だけに気を揉んでいたわけではない。政治の世界では政治資金パーティー収入のキックバック(裏金作り)問題が争点となり、震災復興をめぐっては、復興優先か万博優先かの選択、カジノ誘致と不可分の万博経費の膨張をそのまま認めてよいのかどうかの是非問題。さらには大阪・関西では維新・吉本・在阪テレビの癒着と「イジメ笑い」芸人筆頭の松本人志のスキャンダルがメディアとネット上で「炎上」という事態を作り出した。
コロナ禍や戦災・震災時に緊急に必要となるエッセンシャルワーク(医療・ケア・看護等)とは対照的に、政治資金集めパーティー、カジノ誘致に結び付けた万博等のイベント、証券・不動産投機、武器輸出に群がる死の商人などは、ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)と呼ばれる。ブルシットジョブとはブルシット(あほらしい、ばからしい)のジョブ(仕事)というアメリカのスラングである。
エッセンシャルワークを重視するのか、それともブルシットジョブをこのままはびこらすのか、この対決がここしばらくの間、現代日本の鋭い選択問題となるだろう。
にのみや・あつみ 1947年愛媛県生まれ、京都大学大学院経済学研究科博士課程中途退学。現在、神戸大学名誉教授、福祉国家構想研究会共同代表。経済学、社会環境論専攻。近著に『社会サービスの経済学』(新日本出版社、2023年)、『人間発達の福祉国家論』(新日本出版社、2023年)がある。