@ 再びオーバーツーリズム
京都の価値を最大限発揮する
コロナ禍が収束し、国内の観光産業は急速に回復している。現在のペースが続けば、訪日客は年間2500万人が視野に入るであろう。それとともに特定の地域に観光客が過度に集中することによるオーバーツーリズム(観光公害)が再び問題となりつつある。
観光公害の核心をなすのは、観光客と地域住民との間で観光に対する感覚が異なることである。すなわち観光客が増えても自分たちにはメリットがない、あるいは多大なデメリットが生じるという住民感情である。
京都市においても、騒音やゴミ、公共交通、特に市営バスを地域住民が利用できない、人と車が多くて自宅の駐車場から車を出せないなどの問題が再燃している。歩道に人があふれて車いすで移動できない、視覚障害者が安全に歩けないなど福祉上の問題も発生する。また、京都市域に新規開業した外資系ホテルの多くは本社採用の外国人が幹部を務め、現地採用の従業員は待遇で差をつけられている。さらに外部の資本が不動産投資目的で流入し、その結果京都市の商業地の基準地価は毎年上昇し、住宅価格の高騰を招き、住民が京都市から離れてゆく現象も起こっている。
多様な利害が絡み合う問題を解決するために一般的に取られる手法は、全体的なコンセンサス、すなわち意見の一致を取り付けるというものである。観光問題でいえば、観光客と住民との利害を調整することだ。しかし、先行的な事例とも言えるイタリアのベネチアやスペインのバルセロナの実情を見ると、この方法での抜本的な解決は困難であることがよく分かる。全体的なコンセンサスを取るのは一見合理的に聞こえるが、言い方を変えれば右と左を足して2で割る、あるいは中途半端なところで妥協して、後はお茶を濁すことになりかねない。
こうした事情を踏まえ、観光問題、特に京都の観光公害の問題を論ずるにあたり、京都の観光で何が一番大切なのかを考えてみたい。優先順位をはっきりさせることは論点が曖昧になるのを防ぐ。京都の観光問題において優先するべきは、観光客の利益ではなく、地域住民の利益でもなく、京都の持つ価値を認識し、それを最大限発揮させるような観光産業を構築することである。そのためには何が真の価値であり、人々は何を求めて京都を訪れるのかを把握しなければならない。