主張 高齢者に多い転倒・転落事故 不要な紛争をなくすためには  PDF

 医療事故の中でも高頻度で発生する転倒・転落事故は、医療者にとって大きな悩みの種である。転倒・転落事故は患者自身の身体的要因に加え、環境要因や服用している薬剤の影響など極めて多彩で複合的な要因によって発生し、医療機関が十分な対策を講じたとしても完全に防ぐことができない事故である。特に高齢者は老年症候群によってそのリスクが高く、骨折や頭蓋内出血などを来すと生活機能の低下や死亡につながる。2020年の厚生労働省の人口動態統計から65歳以上の高齢者の死因を見ると、転倒・転落による死亡者数は交通事故による死亡者数の約4倍多く、高齢者にとって転倒・転落事故は日常的な出来事であることが分かる。しかし、いったん医療機関内で事故が発生すると、患者・患者家族から医療機関の管理責任を問われ、紛争化することが多い現状がある。そこには医療機関と患者・患者家族との間で、転倒・転落事故を完全に防ぐことができないことや医療現場の人的制限がある中でスタッフが患者一人ひとりに付ききりで対応できるわけではないことなど、転倒・転落事故や現場の状況に関する情報共有と相互理解が不十分であることが背景にあるのではないか。
 民事訴訟においても、医療現場の実情に即しているとは思えない判決が下されることがある。日本医療安全学会や日本転倒予防学会らが23年11月に発表した共同声明「介護・医療現場における転倒・転落~実情と展望~」では、転倒・転落事故について、医療機関側の責任を認める判決が司法から相次いで示されているとし、「訴訟においても、さまざまな制約下で行われる現実の医療・介護現場の実情を踏まえて判断することが重要であり、想像上の理想的な医療・介護現場を基に判断がなされることは、現場の委縮・混乱を引き起こし、また、医療安全の名を借りた懲罰、責任追及の空気を再び呼び起こすこととなるため、現に慎むべきである」と述べている。
 国際規格のISO/IECガイド51において、「安全」とは「許容できないリスクがないこと」、つまりリスクを許容できるまで低減させた状態を「安全」と定義している。決してあらゆる危険を取り除いた「絶対安全」の状態を指すわけではなく、転倒・転落事故においてこのような「絶対安全」の状況は存在しない。医療者は今後も患者の「安全」のためにできる限りの努力を続けていかなければならない。その一方で、法曹界も含め、多くの国民が現場の実情を理解し、不要な紛争がなくなることを望みたい。

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