日本の伝統的な医療文化は、病気や症状の治療に重点を置いてきた。死は常に忌むべき、闘いの対象であり、苦痛との妥協は後回しになった。医師や医療機関は病気の診断と治療に注力してきた。他人を家に入れないという伝統的な心情はまだ残っている。家族が患者のケアを担当し、医療機関は主に治療を提供する役割を果たしてきたため、終末期の患者の「癒し」に関するニーズが社会において適切に理解されてこなかった。権威主義的な医療現場の構造により、意思疎通が不十分であったことも否定できない。
日本では「癒し」そのものを社会が各個人に与えられる仕組みに乏しいといえる。日本は先進国としては珍しい「死刑」のある国である。被害者側の「癒し」が、「犯人」の死をもってしか得られないのである。
それでも、医療分野においては1980年代より徐々に、延命を目的とせずに、身体的・精神的苦痛を除いて生活の質(QOL)の維持または向上を目指した処置「ターミナルケア」の概念が広まりつつあり、厚生労働省は2018年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を策定して、終末期医療に関する指針を明示した。これは緩和ケア、ホスピス、看取りなど、医師を含む医療従事者、介護従事者と患者本人家族の協力がなければ行うことができない。
終末期医療の医療費全体における割合については各論あり、2000年前後のレセプトデータの解析では8%に満たないという調査もある。高齢化が進行した現在はそれよりも増加していると思われるが、加えて各施設のキャパシティを考えなければならない。感染疾患が「復興」したかに見える近年、延命のみを目的とした終末期入院者が多くいることは、それだけでいわゆる医療崩壊のリスクを上げているといえる。
厚労省は「地域包括ケアシステム」を唱えている。後期高齢者がなるべく在宅で終末期を迎えられるようにとの構想であるが、大きな目的が「医療費削減」であることは論をまたないであろう。
そのためには、まず地域側にそれらを受け入れる能力が必要である。終末期医療の長期入院を削減し、延命治療にかかる高額な費用を避け、痛みの管理や快適な終末期を追求する方向にシフトさせる。予防的な医療ケアやアドバンス・ケア・プランニングの推進により、終末期における急性症状や合併症のリスクを低下させる。これらは全て、終末期患者の生活の質を上げるとともに、医療費削減に有用な可能性がある。
しかしながら、それらは全て社会のメンタリティ次第である。目的のためにシステムを推進しても、社会にその素地がなければ実現はしない。医療者・介護者の数や質を維持し、患者本人家族の理解と協力が必須なものを、地域社会が支えなければならないのである。それを考えると道はまだ遠いのではないか。手が回らないことで「医療費削減」できるならそれは本末転倒でしかない。「癒し」を大きく与えることのできる社会の構築を念頭に、高齢者医療をつくり上げていくことを、厚労省も、医療者も、国民も考えていかなければならない。
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