以前より書棚に置いてある「枕草子、清少納言」を初めて手にしました。
(現代語訳記載)うらやましげなるもの(第152段)
うらやましく見えるもの。稲荷の社に思い立って参詣した時に、中の御社にさしかかるあたりで、わたし自身はむやみに苦しいのを我慢して坂を登ったのだが、少しも苦しそうな様子もなく、後から来ると見える人たちがどんどん行って先に立って参詣するのは、とてもすばらしい。二月の丑の日(例祭の日)の暁に家を出て急いだけれど、坂の半分くらいを歩いたところ、そこで巳の時(午前10時頃)ぐらいになってしまった。だんだん暑くなって、やりきれない感じがし、どうしてこんな暑い日ではなく、ちょうどよい日もあろうに、なんだって参詣したのだろう、と涙もこぼれて、そこで一息入れてぐったりしていると、四十歳ぐらいの女で、ただ着物の裾をたくしあげただけのかっこうなのが、「わたしは七度詣(1日のうちに三社を七度詣でる)をいたすのですよ。三度はもう参詣してしまいました。もうあと四度は何でもない。まだ未の時(午後2時頃)にきっと下山するでしょう」と、道で出会った人にちょっと言って坂をおりて行ったのは、普通のところでは目にもとまるはずのない些細なことだが、この時はこの女の身に今すぐなりたいものだと感じられた。
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現在進行形の清少納言が感じられます。
御前にて人々とも(第259段)
中宮様御前で、女房たちと話したり、また中宮様がお話をなさるついでなどにも、「世の中が腹立たしくて、もうしばらくの間でも生きていられそうにない気持ちがして、どこへでもいいから行ってしまいたいと思う時に、普通の紙のとても白くてきれいなのとか、上等の筆、白い色紙、みちのくに紙などを手に入れると、もう気持ちがすっきりして、ままよ、こうしてでもしばらく生きていてもよさそうだと感じられます。また、高麗縁の畳の筵で、青くこまかに厚く編んであるのが、縁の紋がくっきりと黒く白く見えているのをひきひろげて見ると、どうしてどうしてやはり決してこの世は思い捨てることができそうにないと、命まで惜しくなります」と申し上げると、中宮様がひどくちょっとしたことで気持ちがなぐさめられるようね。そんなに簡単になぐさめられるのなら…。
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明るい清少納言です。この二段で何か元気をもらいました。