寄稿「高齢者施設内の転倒に関するステートメント」について  PDF

介護老人保健施設 竜間之郷 施設長
全国老人保健施設協会 常務理事
大河内 二郎氏

 2021年6月11日に日本老年医学会と全国保健施設協会が「高齢者施設内の転倒に関するステートメント」を発表し、施設内での転倒に関する基本的な考えをまとめた。超高齢社会を迎え、各医療機関において転倒に関する医療事故の増加が懸念される中、本ステートメントは施設だけでなく医療機関にも通じる考え方である。そこで、作成メンバーの一人である全国老人保健施設協会常務理事の大河内二郎氏に転倒に関する基本的な考え方などについて寄稿いただいた。

高齢者の転倒の背景

 「朝は4本脚、昼は2本脚、夕方は3本脚はなに?」
 このスフィンクスの謎のことを皆さまは聞いたことがあると思います。直立二足歩行をすることで両手が自由になり、かつ重い頭を支えることができる人類はさまざまな発展を遂げることができました。しかし加齢とともに筋力が弱まると転びやすくなり、杖などに頼る必要が生じます。
 2019年の人口動態調査で、80歳以上の不慮の事故による死因の1位は「同一平面上の転倒」で、これに転落を加えると4割を超えます。転倒に関連の死亡率は年齢とともに増え、転倒が原因で毎年1万人程度死亡しています。また要介護の原因としては、認知症、脳血管障害に続いて3位です。さらに介護施設で起こった重大事故は市町村に報告することになっていますが、最も多いのは常に転倒です。つまり高齢になるほど、転倒は防げないものなのです。
 一方、施設における転倒に関する裁判では中途で和解に至るケースが多く、その実態は明らかではありません。しかし和解に至った場合でも保険金支払いの対象となることが多く、そのため介護施設の事故対応保険費用が高額となっています。
 つまり現状では高齢者の転倒について「医学的な現状」と「社会のとらえ方」の間のギャップが埋められていない状態があると言えます。そこでまず2012年に「転倒予防ガイドライン」が作成されました(1)。その前文で当時の長寿医療センター総長の鳥羽研二氏は「従来、転倒は事故、骨折は骨粗鬆症を基盤とする疾患という硬直したとらえ方がなされてきた。このため、転倒は自宅では個人の責任、施設の敷地に一歩入ったとたんに医療機関の責任という奇妙な構図に誰も異議を唱えず、(中略)リスクマネジメントの対象とされた」ことに問題があるとし、「事故というより身体的原因に起因する疾患、症候群として転倒をとらえ、転倒予防にかける経費はバリアフリーより身体的工夫を生かした予防医療に注がなくてはならない」と述べています。

転倒予防の限界

 とはいえ、転倒が高齢化に伴うという症状であるというメッセージの普及は充分ではありませんでした。今回のステートメントでは日本老年医学会と全国老人保健施設協会が「高齢者施設」における転倒についてシステマティックレビューを行いました。その結果100人の入所者の施設であれば、40人程度が1年間で平均5回程度転倒し、そのうち10人程度で骨折などを生じていました。これは一人当たりにすると1年間に2回程度であり、入所者の4割程度が転倒を経験しており、骨折や病院搬送が必要となるような重篤な転倒が1年間で10%程度に発生していました。さらに老人保健施設から病院に入院する理由では、肺炎に引き続き2番目でした。
 以上から転倒は事故というよりも、むしろ加齢に伴う老年症候群の一部として考えるのが望ましいことが再確認されました。さらに介入の成功例であっても「転倒の回数を減らすことはできるかもしれないが、転倒をゼロにすることはできない」というものでした。
 在宅の高齢者ではリハビリや薬剤など、効果があるとされているものでも、同じ効果が施設内では期待できないということが分かってきました。

転倒等のリスク要因に基づく老人保健施設の介入研究

 また2015年に全国老人保健施設協会が行った、転倒、褥瘡、誤嚥性肺炎等の複数リスクに対して、リスク要因に基づくケアマネジメントの強化を行った介入モデルの研究では、褥瘡、誤嚥性肺炎は若干減らす可能性があるのに対して転倒の介入効果はまったくありませんでした(2)。

転倒ステートメントの内容と解説

 このように、転倒を事故としてその責任が施設にあるとする「社会的な捉え方」は、「医学的な現状」とは合いません。そこで日本老年医学会と全国老人保健施設協会は、これまでのエビデンスを元に2021年の日本老年医学会の大会において「高齢者施設内の転倒に関するステートメント」を発表いたしました(3)。内容は左表の通りです。
 これらのうち、最初の項目がこのステートメントの中心ですが、リハビリや治療によって活動性が高まることでかえって転倒が増えることを含めたことも画期的です。さらには、転倒が施設のサービスが原因ではないことが、すべての関係者に受け入れられているとは言えない状況にあり、ステートメントをきっかけに周知を図ることが望まれます。そこで、このステートメントには、あらかじめ入所者・家族の理解を得るために使用できる説明のためのチェックリストも提示しました。さらに一般市民用の理解を助ける電子冊子「介護施設内での転倒を知っていただくために~国民の皆様へのメッセージ~」も併せて発表いたしました。

転倒ステートメントの今後の活用

 幸いさまざまなメディアがこのステートメントを取り上げて報道しました。しかしなお一般市民にこのメッセージが届いているとは言えません。今後のエビデンスの作成の一環として全国老人保健施設協会ではこのステートメントに基づいた介護サービス利用者に対しての説明用ツールを作成し、2022年8月現在テスト中です。
 このツールは、利用者のそれぞれの状態に応じた転倒や転落リスクの説明と、施設では転倒リスクが減ることはなく、むしろ環境の変化により転倒リスクは増える、という内容になっています。またツールを使った場合の利用者の理解がどれぐらい深まったかを現在、複数施設において調査しているところです。私自身も引き続き「転倒は予防できない」ことを前提とした医療介護提供者とサービス利用者間の相互理解に努めていきたいと考えています。

プロフィール
1990年 筑波大学医学専門学群卒業
1992年 東京都老人医療センター神経内科医師
1999年 産業医科大学公衆衛生学助手
2000年 厚生労働省老人保健福祉局老人保健課課長補佐
2005年 九州大学大学院医学研究院 医療ネットワーク学助教授
現在
医療法人若弘会介護老人保健施設竜間之郷施設長
全国老人保健施設協会 常務理事 学術委員長

【表】
【1.転倒すべてが過失による事故ではない】
 転倒リスクが高い入所者については、転倒予防策を実施していても、一定の確率で転倒が発生する。転倒の結果として骨折や外傷が生じたとしても、必ずしも医療・介護現場の過失による事故と位置付けられない。
【2.ケアやリハビリテーションは原則として継続する】
 入所者の生活機能を維持・改善するためのケアやリハビリテーションは、それに伴って活動性が高まることで転倒リスクを高める可能性もある。しかし、多くの場合は生活機能維持・改善によって生活の質の維持・向上が期待されることから原則として継続する必要がある。
【3.転倒についてあらかじめ入所者・家族の理解を得る】
 転倒は老年症候群の一つであるということを、あらかじめ施設の職員と入所者やその家族などの関係者の間で共有することが望ましい。
【4.転倒予防策と発生時対策を講じ、その定期的な見直しを図る】
 施設は、転倒予防策に加えて転倒発生時の適切な対応手順を整備し職員に周知するとともに、入所者やその家族などの関係者にあらかじめ説明するべきである。また、現段階で介護施設において推奨される対策として標準的なものはないが、科学的エビデンスや技術は 進歩を続けており、施設における対策や手順を定期的に見直し、転倒防止に努める必要がある。

<参考文献>
1.高齢者の転倒予防ガイドライン. 鳥羽研二(編) メジカルレビュー社; 2012.
2.Ikeda-Sonoda S,Okochi J,Ichihara N,Miyata H. The effectiveness of care manager training in a multidisciplinary plan-do-check-adjust cycle on prevention of undesirable events among residents of geriatric care facilities. Geriatr Gerontol Int. 2021;21(9):842-8.
3.日本老年医学会, 全国老人保健施設協会. 介護施設内の転倒に関するステートメント 2021: https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/info/important_info/20210611_01.html.
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