先生は、若くして帝国陸軍に入隊、大陸を転戦の後にシベリア抑留の身となられました。筆舌に尽くしがたい辛酸であったと思われますが、私たちの問いかけには寡黙でした。しかし、兵卒に徹して士官を望まず、という先生の信条こそが、すべてを雄弁に物語っているのでは、と思います。
また、先生は戦後民主主義への劇的な転換をも経験されました。そして、民主主義の根幹として会議と議決を重んじる、という考え方を貫かれておりました。後で分かりましたが、ロバート議事規則を念頭に置かれていたのでした。思えば、私たちも、この規則の下で育ってきたのでした。何事に対処するにも基本を重んじよ、との教えでした。
また、90年の北欧介護視察から帰られたときは興奮されていました。あのね、デイケアの車が迎えにくるのだよ。車椅子のお年寄りが赤い花束を抱えているから、どうするの?と聞いたらね、恋人が誕生日だから贈るのだよ、だって。デイケアは日本でも流行るよ。だけどねえ、あれだけ個人が尊重されるのが羨ましいね。お顔が輝いていました。
人は、それぞれの夕暮れをみる。老いが話題になると、必ず出てくる先生の持論でした。病床の夕陽に映える窓から遙か遠くをみとおすような眼差しで、「思い出すことがみんな、とても懐かしく感じられるよ」と微笑んでおられました。その、お顔を忘れることができません。
ご指導いただいたことに厚く感謝いたします。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
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竹内先生の協会における経歴は本紙第3127号に掲載しました。
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