診察室 よもやま話2 第14回 飯田 泰啓(相楽)  PDF

胃瘻

 高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃瘻や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的である。そんなことをするのは高齢者虐待という考え方さえあるという(『欧米に寝たきり老人はいない』宮本顕二、宮本礼子著)。わが国でも、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の概念が導入され、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定ができなくなった時に備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくことが推奨されている。そのため、最近は誤嚥性肺炎で胃瘻を造設することはほとんどなくなった。
 風邪などの時に受診されるTさんが相談したいことがあると来院された。
 「実は、お袋なのですが、転倒して左大腿骨頸部を骨折して手術を受けたのです」
 「それは知りませんでした」
 「手術はしたのですが、認知症もあって寝たきりになったのです。昨日から、様子がおかしいので往診してもらえないですか」
 昔からの知り合いで、自営業の夫を助けて働いてこられた方である。認知症と聞いていたが、寝たきりになられているとは知らなかった。断るわけにもいかず、診に行くこととした。
 「熱があるのはいつからですか」
 「えっ、熱ですか」
 「ほら、ゼイゼイといっているでしょ。熱もあるし、きっと肺炎ですよ」
 「肺炎ですか」
 「きっと、食べた物が気管に入って肺炎を起こしたのです」
 家族と相談して、入院してもらった。2週間ほどの入院であったが、抗生剤の点滴などで肺炎は治癒した。そして胃瘻を造設して退院してこられた。退院後は、家族の認識もできず、次第に膝関節、股関節、肘関節なども拘縮して、着替えさせるのにも苦労するようになった。ケアマネジャーが、介護用ベッド、エアマット、その時々の身体状態に合わせながら、おむつ交換などのために訪問介護や訪問入浴を導入してくれた。そして、訪問看護を週1回導入して、月1度は在宅診療に伺うこととした。Tさんも、毎日朝と夕の2回、胃瘻からの経腸栄養食の注入を続けてくださった。このようにして5年が経過した。
 「毎日の経腸栄養食の注入は大変ですね」
 「そうなのです。この数年、家を空けることもできません」
 「寝たきりでも、少しでも言葉が出たらよいですのにね」
 「あの時は助けたいと胃瘻を選択したのですが、今ではあの選択で本当に良かったのだろうかと考えます」
 このような話をTさんとしているのを、じーっと聞いていたご主人が口を開いた。
 「それでも今朝は、ちょっと話をしてくれたのですよ」
 「えっ、本当ですか」
 「長年連れ添ってきたのですから、こいつが何を言っているか分かりますよ」
 「そうでしょうね」
 「この人には苦労をかけてきたのだから、生きていてもらうだけでよいのです」
 この話を聞いていると、夫にとっては寝たきりで認知症のある妻であっても大切な命であり、生きる支えであることを知らされた。
 起伏はあるものの退院後5年間は順調に経過していた。しかし6年目に入った頃から発熱するようになり、黒色便が出だした。そして5年半が過ぎたところで、嘔吐され呼吸状態が悪化して、自宅でお亡くなりになった。
 死の4年前からは呼びかけに一寸反応するだけであった。5年半にもわたる在宅療養が本当に必要であったのかと考えさせられる。ただ、良し悪しは別として、夫や家族との別れが5年半も延ばせて、死を受け入れる時間的余裕ができた。欧米に寝たきり老人がいない、欧米では寝たきりになるまでに人生を閉じさせているからといって、それを必ずしも模倣しなければならない訳でもない気になったのはどうしてだろうか。

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