三角関数をみんなが学ぶ必要があるのかと維新の衆院議員が国会で質問し、ネット上でも論争が燃え上がった。
それより金融経済を学ぶべきだという彼の主張には賛同できないが、昔ながらの学校教育の内容を見直す必要があることは、間違いない。
数学で言うと、確率統計、順列組み合わせ、集合、指数・対数は、知らないと具合が悪い。ベクトル、三角関数も役に立つことがある。
2次方程式の解き方はどうだろう。論理的思考の訓練、理系へ進む準備としては意味があるが、一般の社会人が使うことはなかろう。
近現代史の学習にはもっと力を注がないといけない。しかし古代から近世の歴史、各国の地理や産業などは、詳しく知る必要があるのか。
力学、電気、周期表、化学式、DNA、細胞などは必須だが、モル計算やクエン酸回路まで要るのか。
古文をみんなが読める必要があるのか。外国語は英語ばかり延々とやっていいのか。
こういうことを言うと、たちまち反論がわきあがる。これは大事だ、あれも大事だと主張する人たちがいる。
可能なら、いろんなことを学ぶほうがよいに決まっている。だが学校で扱える分量や時間は限られる。問題は優先順位である。高校までに学んでおくべきことは、ほかにもっとあるのではないか。
この社会で暮らすのに欠かせない知識を、学校では、ほとんど教えていない。
まずは社会保障である。医療保険、介護保険、年金制度、雇用保険、労災保険、生活保護、障害者福祉、児童家庭支援、虐待防止……。
詳細に入ると複雑で、制度もしばしば変わるので教えるのは大変だが、あらましも知らないまま社会に出たら実際に困るし、損をする。
次に法律。どんなときに賠償請求できるのか、契約とは何か、貸したお金を取り戻すにはどうするか。犯罪とは何か、逮捕されたらどうしたらいいのか。労働基準法は何を定めているか。行政に不満があったらどうやって争うか。
税金もそうだ。所得税はどう計算するのか。源泉徴収とは、確定申告とは。住民税はどうやって決まるのか。
大人でも多くの人は、社会保障や法律の基本を知らない。教わる機会がなかったら、知らないのは当たり前だ。それで年金保険料や税金をきちんと納めろ、法律を守れと言っても無理がある。
自然科学系では人体や病気の基礎知識、災害の知識こそ、身につけたほうがいい。
そういった実生活で役に立つことよりも、枕草子を読み、ハプスブルク家を覚えておくべきかという問題だ。
高校では今年度から「情報」という新科目が必修になった。「生活」「法学」「医学」といった科目を作ることも考えてはどうか。
教育には数多くの課題がある。知識のインプットばかりでなく、わからないことを見つけて調べる探究のプロセス、そして意見を言う、文章を書くといったアウトプットも重視する必要がある。
にしても、まずは社会で暮らすための基礎知識の提供が大事ではなかろうか。
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