診察室よもやま話2 第10回 飯田泰啓(相楽)  PDF

がんの告知

 私が医者になった頃は、がんは死に直結する病気というイメージが強かった。そのため患者さんにがんの告知をすることはなかった。しかし、今やがんは原則的に患者さんに告知する病気になっている。がんが早期発見、早期治療により、がんが完治を目指せる疾患になりつつある。また、がんの治療は医師が一方的に行うものではなく、患者さんも主体的に治療に関わっていくとの考え方が浸透してきたためである。
 ずいぶんと昔のことなのだが、がんの告知で思い出すのがTさんのことである。夫に先立たれ、ひとり息子とも音信がなく一人暮らしをされていた。胃の調子が悪いと言うので、胃内視鏡をしたところ胃がんが見つかった。早期がんで手術すれば完治が望める状態であった。
 「先生、胃カメラの結果はどうでしたか」
 「ちょっとおかしいところがあったので、顕微鏡でみる検査をしておきました」
 「がんなのですか」
 「その疑いもありますが、手術をすれば大丈夫ですから」
 「本当に大丈夫なのですか」
 「大丈夫です。1週間すれば顕微鏡での結果が出ますので来院して下さい」
 精神的に不安定なTさんなので、いきなりがんと言い切るのも気が引けた。1週間の間に気を落ち着けてもらってから説明をして、病院に紹介するつもりであった。
 ところが、である。翌日のこと、農薬を飲んだと言って憔悴しきって来院された。
 「がんなので、もう死んでしまった方が良いのです」
 「がんでも早期なので大丈夫と言ったでしょ」
 「でも、がんなのでしょ。手術も嫌なのです」
 何とか連日、点滴をして一命をとりとめた。この時の採血データでコリンエステラーゼがゼロであったことを今でも覚えている。1週間ほどして、やっとコリンエステラーゼが測定できるようになった時にはホッとした。
 「手術すれば助かるのですから、手術しましょう」
 「手術は嫌です」
 頑として手術を受け入れてくれない。と言って、50歳代のTさんをこのまま放置するわけにもいかない。
 「息子さんと相談されましたか」
 「息子とは、この10年会っていません。住所も分かりません」
 少なくとも息子さんには説明しておかなければならない。そして説得してもらうより他に方法がない。いろいろと考えたのだが、行政に相談することにした。行政も、個人情報のことなので息子さんの住所を教えるわけにはいかないと最初は渋っていた。しかし、事情を説明すると、人命にかかわることなので仕方ないですねと調べてくれた。
 「久しぶりに息子から電話がありました」
 「そうですか」
 「何故だか分からないのですが、胃がんのことを知っていました」
 「はあ」
 「手術するように説得されました。考えたのですが、手術を受けることにします」
 「そうして下さい。手術すれば命は助かりますから」
 「勝手に出て行った息子なのに、心配してくれていました」
 手術までに、ほとんど半年が経過していた。途中で再度内視鏡をした。農薬による粘膜のただれが激しかったが、がんはそれほど進んでいなかった。そして病院に紹介して胃切除をしてもらった。
 「あの時は、ご迷惑をお掛けしました」
 「お元気になられてよかったですね」
 「でも、いつ再発するかとドキドキしています」
 「再発の可能性は低いですよ。手術で完全に取り切れたと病院からも報告がありました」
 「本当なのですか。よかった」
 ちょうど介護保険の始まった頃のことである。デイサービスを利用しながら、その後も一人暮らしをされていた。その後、外来にお見えにならないと思っていたのだが、近所の方から、Tさんは息子さんのところに行かれたと聞いた。今度のエピソードが息子さんとの仲直りにも役立ってくれたと思った次第である。

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