最近立て続けに2件、医師・医療者を巻き込んだ凶悪殺人・傷害事件が起こった。大阪の心療内科放火殺人事件、埼玉の立てこもり往診医師銃殺事件である。概要は、新聞、テレビのニュースその他でご承知のことと思う。ターゲットになったのは、地元クリニックや訪問診療で多くの患者やその家族から信頼と尊敬を集めていたバリバリの中堅医師である。残念ながら、両事件の容疑者には身を粉にし患者に尽くしてきた両医師の客観的姿が見えなかったようである。報道内容だけでは事件に至る深層は見えないが、容疑者たちの短絡的、自己中心的な(裁判でよく使われる言葉で“まことに身勝手な”)、そして閉鎖感情空間の中で医師との個人関係でしか問題を捉えられなくなっていた心的病像が推測される。
この二つの事件が医療現場の医師、スタッフに与えたインパクトは甚大なものがあることを見逃してはならない。これだけ献身的に医療に身を捧げても報われない(まともに評価されない、せめて普通にでも受け止めてもらえない)相手(患者・患者家族)が存在する無力感とでも言えようか。さらには、恐怖感や心折れた感を覚えた医師も多い。医療の最前線は、患者・患者家族と医師・医療スタッフの直接のやり取りである。しかも、機微に触れる身体・精神情報のやり取りであり、クリニックの診察室であれ、在宅であれ、極めて密室的環境で行われる。その中での診療や会話は両者の信頼関係を前提に成り立っていることで、そこにリスクの隙間があった。医師の応招義務も患者との信頼関係が成り立つ中で課せられる契約としての義務規定と法解釈されている。
コロナ禍が2年以上に及ぶ中で、医療に携わるほとんどの医師・医療スタッフは積極的にかかわってきた。特に、最前線の診療所の発熱外来や、新型コロナ病床のスタッフは、文字通り寝食を忘れて働いてきた。時間外労働時間は過労死ラインを大きく超えた者が続出している。身体的疲弊は高度に蓄積されている。さらに例えば、ワクチンの予約を巡っては、電話がつながらない、予約が取れない、など窓口で罵声を浴びせられ続けた。この応対に精神的打撃を受けた医師も多い。事態の本質はひとえにワクチンの供給不足や行政の段取り、リスクコミュニケーション等の不備にあったにもかかわらず、である。
さらに、コロナ医療の混乱に便乗する形で政府、財務省、その御用学者から発せられた「なんちゃって急性期病床」「低密度医療」「幽霊病床」などの言葉は、医療政策や制度、新型コロナ対応の失敗の原因を全て最前線の医師や医療機関に負わせ、自らの責任を回避し、医療機関や医療者を貶める世論醸成の黒い意図を感じる。その意図とは、その先にある今後の入院病床数削減の強引な政策を、医師の不作為で医療が十分機能してない現状を改革するとかの口実で正当化する世論の下地作りとでも言おうか。
このようにコロナ禍で、ともすれば医学医療や医療関係者に逆風が吹く中で、あらためて今回の二つの事件で殺傷された、医師・医療スタッフ・患者の方々に哀悼の意を表する。それとともに、これらの事件の本質と問題点、今後の日本社会に与える影響(考えられる一つが、在宅医療の後退)を国民が正確に理解し、この不幸な事件を正しく超克する社会的、文化的、政治的議論を興すべきと考える。
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