「黒い雨」置き去りにされてきたものとは 反核ネット講演会で小山記者が語る  PDF

 広島「黒い雨」訴訟は地裁、高裁で全面勝訴して原告全員が被爆者として認められ、原告以外も救済すべく協議が進められている。戦後76年を経て援護行政の転換をもたらした歴史に残る判決について、現場を取材してきた毎日新聞広島支局の小山美砂記者から話を聞いた。「黒い雨訴訟の現場から―「置き去りの証言」を取材して」講演会は12月8日にオンラインで開催され、63人が参加。反核医師の会も参加する反核ネットと京都「被爆二世・三世の会」が共催した。
 小山氏は、100人近い黒い雨被爆者を訪ねてきたことで見えてきたことを語った。なぜ「置き去り」にされてきたのか。一つは当事者が押し黙ってきたこと。村単位で「黒い雨が降らなかったことにしよう」としたことで記録に残らなかった例や、直爆で亡くなった方への遠慮から手帳を欲することに抵抗を持った方々もいる。もう一つは内部被曝の影響が軽視されてきたこと。
 「被爆者」と認めよとの訴訟での訴えは、「特例区域」拡大ではなく、「被爆者認定」を 求めたもので、「黒い雨」という原爆被害を直視せよとの訴えであった。そして、「疑わしきは救済を」との地裁・高裁判決は、高度な科学的立証を住民側に求めて援護から外そうとする国のあり方を批判したもので、核被害者救済の本質である。被爆者認定に必要とされてきた「11障害」の発病について地裁は維持としたが、撤廃とした高裁判決は核被害者救済のあるべき姿を示した。
 しかし、上告を断念した首相談話からは、「政府としては本来であれば受け入れ難いもの」と、黒い雨「軽視」が見える。とりわけ、「黒い雨」や飲食物の摂取による内部被曝の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、「これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れないものであり、政府としては容認できない」としている。これは、入市・救護被爆者の認定時に、具体的な線量推計を要してこなかったことから、政府の考え方がむしろ従来の援護行政と相いれず、談話は矛盾を露呈した。
 原告以外の救済へ5者協議が開始されているが、3号被爆者の新たな審査基準を作ることや健康診断特例区域の拡大など厳格化が考えられているとみられ、警戒が必要だ。
 内部被曝そのものが置き去りにされてきた核被害であって、黒い雨訴訟が確定しても、本質的にその構造は変わっていない。「疑わしきは救済を」は、全ての核被害者救済に向け、黒い雨訴訟が示した重要な方向性であり、「被害者は誰か?」という議論に終わりはない。「書けない」「語れない」のは、76年も放置してきた国の責任であり、更なる追及が必要。そして、被曝を切り捨てるこの構造を変えたい、核被害者の救済を考えることは核被害や被曝に抗うことだと強調した。

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