最下部を半月状に切り取ったやや深めの丸型皿を「髭皿ひげざら」と言うが、比較的珍しいものである。これは中世期、欧州の理髪店で椅子に座ったお客自身がくぼみのところに首を当てがい、髭を剃る時の受け皿もしくは上腕からの瀉血用に使用されていた。当時の欧州において、理容師は“barber-surgeon”(理容外科医)として床屋の仕事以外に悪い血を抜いたり、体表の外傷処置や抜歯さらには下剤かけ等の外科医術を行い、それを専門とする職人ギルトも作っていた。元来、髭皿は真鍮など軽い金属製であったが、磁器を好んだ当時の風潮より注文で作られるようになった。
肥前の伊万里色絵3点と極小1点髭皿(写真A・B・C・D)と、それを模したオランダのデルフト白磁2点(写真E・F)の駄蒐集髭皿を紹介して使用法等の検討をする。
この内、伊万里髭皿は戦で用いる甲冑において大切な頭部を守る武具である兜に習い作られた兜鉢かぶとばちの技術を改変していると小生は考えているが、主に正保から享保(1650~1720年)の間に大量生産されたIMARI EXPORT WAREに端を発したものである。
伊万里3点は上部に小さな穴が二つ穿けられ紐でつるせるようになっている。見込みの絵柄は見栄えのする色絵の「花籠手はなかごて」が多く、3点ともほぼ同様である。古さから言えば緑釉が使われ華やかで一番大きいA、次に丸紋風金彩ドットがアクセントとなったB、鶴が飛ぶ窓絵があり見込みはやや簡略化された筆使いのCで、大切に使われていたかとみえて全て完品である。若干、非対称の最下部の鋭な半月状の切れ込みサイズを見るとA・Bは9㎝、Cは7㎝と小さく、髭剃りで前頸部に、また瀉血で上腕掌側に押し付けるにしては少し小さすぎると思われる。さらに中央(見込み)のくぼみの最大容量を測ってみるとAは980ml、Bは690ml、Cは860mlで比較的大きくここを満杯にして血液を抜かないにしても、現代における献血用の採血量から考えると少し不合理とも考えられる。
一方、イスラム陶器に由来する白釉(藍彩)陶器であるデルフト2点は上部の小さな穴がなく、ともに飾り気のない粗野なもので頻用されたであろうヒビ(ニュー)やカケ(ホツ)が見られる。やはり、縁がやや鈍な半月の切込みを見るとEは10・5㎝、Fは12㎝で首や上腕にフィットしやすいようだ。また見込みのくぼみの最大容量は、Eは660ml、Fは645mlで、伊万里のものと比べて若干少なくほぼ同容量であることから、両手もしくは片手で比較的長く保持ができて実用的と考えられる。
したがって少々こじ付けがましいが、高級品であっただろう輸入品の赤絵伊万里の髭皿は当時の欧州の理髪店では少なくとも日常使用していたのではなく、飾皿かざりざらとして室内装飾用や目印もしくは看板目的だったと推察される。この仮説は伊万里の長径10・5㎝、短径9・5㎝、半月横径2㎝たらずのドールハウス用であろう極小髭皿Dからも裏付けができるかも知れない。
欧州等の注文によく応えたこれらの輸出伊万里は中国の景徳鎮窯にとってかわり、約百年に渡り長崎港よりオランダ東印度貿易会社を介して、五艘船ごそうせんに代表される阿蘭陀船団により何百万個と積み出された。当時、日本は鎖国をしていたが、実際には長崎出島や平戸を通じてかなり盛んに蘭人(オランダ)だけでなく紅毛人(イギリス等アングロサクソン系)、南蛮人(ポルトガル・スペイン等ラテン系)、華人(チャイニーズ)、韃靼人(タタール等モンゴル系)、さらに琉球人(ウチナンチュー)を含めインターナショナルに人や物資が行き来していたと想像すると3密回避、人流抑制さらに越境並びに海外渡航がままならない、いまだコロナ禍の現在とちがい自由闊達で楽しげだろうその時代を、小生は遠メガネで覗き見したくなる。
写真A:伊万里色絵髭皿
写真B:伊万里色絵髭皿
写真C:伊万里色絵髭皿
写真D:伊万里色絵極小髭皿
写真E:デルフト白磁髭皿
写真F:デルフト白磁髭皿