エッセイ ときをこえ ふたりのおもい 成就する 辻 俊明(西陣)  PDF

神山や 
 大田の沢のかきつばた 
ふかきたのみは
 いろにみゆらむ
(藤原俊成、1114年~)

 「神山(上賀茂神社の御降臨山)の近くに在る大田神社のかきつばたに深くお願いする恋事い ろは、かきつばたの色のように一途で美しく可憐なのだろうか」 ―一途な恋心を、大田神社のかきつばたが可憐な紫に色づく様子にたとえている。ここは平安時代からかきつばたの名所である―
 京都市北区、上賀茂神社の近くにある大田神社は山の麓にある小さな神社。細道の奥にある。何気なく歩いていたら気付かず通り過ぎてしまいそう。しかし5月になると景色は一変する。参道の東に広がる沢地は40~50メートル四方しかないけれど、ここには数多くのかきつばたが自生し、いっせいに開花を迎える。緑の葉、借景の新緑の中、沢一面に濃淡さまざまな紫色の花をつけるそのさま、あたかもエメラルドの中にサファイアをちりばめたよう。穏やかな日差しの中きらめく。毎年5月、俊成が愛でたままの風景は目の前に広がり、当時の恋心は時を超え、色あざやかな花となって燃え上がる。

花の色は
 うつりにけりな
    いたづらに
わが身世にふる
 ながめせしまに
(小野小町、825年~)

―小野小町ゆかりの寺として知られる隋心院(京都市山科区)では、小町の功績を称えるため、ミス小野小町コンテストなどさまざまな行事が催される―
 桜の花の色が衰え、色あせてしまったことに自分の美貌が衰えてゆくはかなさを重ねて詠んだ歌とされる。しかし、小町が、あの人もこの人もといった具合に次から次へと数多くの情熱的な愛に生きたこと、その奔放ぶりが伝えられる中、この解釈はどうもしっくりこない。美の象徴とされてきた桜の花を自分にたとえるなど、かなり自信家であったことがうかがわれる。そんな人が過ぎ去った日々を思い返して、ただすすり泣くだろうか。とても似合わない。“私はまだまだ、これからが魅力満開”と甘いささやきが耳元に聞こえてきそう。いつまでも人の心を惑わすような美熟女であったと信じたい。
 俊成は淡い恋心をかきつばたに例え、小町は自らの妖艶さを桜の花で表した。二人は有限の中に無限を求めた。無限性を何とか表出させたかった。有限で不自由な物質世界の中にいながら、その制約を取り払い、あふれ出る精神の無限性、自由自在性をどうしても解放させたかった。その願いは成就した。
 俊成の恋心は今なお燃え続ける。小町はいつまでも衰えることのない美貌を手に入れる。そして自由になった二人は、これから…。
 二人の想いは美しい言葉により永遠の生命を与えられ、今私たちのもとに届けられたのである。

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