私の朝食習慣 宇治は茶どころ、茶は政所 宇治茶を味わいにおこし下さい 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

 学生の頃、卒業したら近々欧米留学をしたいと考えた。そこで、学生時代は早い内から、日本の伝統的な文芸・芸能を少しは知って、向こうでの会話や文化交流で、簡単な質問に答え、簡略に説明できる程度の知識・表現力を持ちたいとも考えた。大学5年生になった時そのことを思い出し、遅ればせながら茶道部に入部し、卒業まで参加した。
 この10月30日(土)に部の創立75周年記念祝賀会があり、自分も出席したが、会場では、後輩から急に、先輩あいさつをせよとなった。提案されたテーマは「a部活動でのお茶の思い出、b卒業後でのお茶への思い」で、aは体験的事実を語ればよいのでできるとして、bは継続的にあまり考えたり行動したりしたことなく、後者で困った。
 入部は、大学5・6年生の時で、若い女性部員が沢山おられ、それに惹かれたからでもあると少し冗談めかして答えた。
 井口海仙先生・御令室井口静先生の幽静庵では、師範代の方々に、盆立てから習い、それだけを習ったように思う。海仙先生からは、医学生は将来の本道への勉強・研鑽を第一義的に努めよ、茶道は教養のレベルに留めよとのことであった。問題はただ練習中の正座でよくアシがしびれ、日本の儀礼的な場では正座も多かろうと、その後はこの自己訓練を意識して、折に触れ実行・継続した。
 現在、自分は小児科医の妻とまさに茶どころの宇治市で整形外科・リハビリテーション科・小児科の診療所宇田医院を開業する。そこで宇治の街を見渡すと、新型コロナウイルスの蔓延で、外国人観光客も少なくなり寂れてしまっている。
 京都府での4度目の新型コロナ緊急事態宣言がこの9月末解除され、「お茶と宇治のまち交流館(愛称:茶づな)」が10月1日再開され、さっそく見学した。お茶は中国の産で、すでに遣唐使や留学僧から村上天皇にも献上されたが、当時は一般にはあまり広まらず、宗に2回留学した栄西禅師が1191年に種ないし若木の苗を持ち帰り、栂尾高山寺の開祖、明恵上人がもらい受け栂尾村で播種・育成され仁和寺、醍醐寺、近江の政所やさらに宇治の五ケ庄にも播種され、「森、祝い、宇文字、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」、との宇治七茗園が足利義満将軍により開かれた。質の向上に太陽光をさえぎる「覆下おおいのした栽培」がなされ、葉緑素も倍増して鮮やかな緑色となった。美味の成分となるアミノ酸テアニンも増え、渋みの元であるカテキンへの変化が半減し、抹茶用の碾茶の葉として、石臼で挽き抹茶とされる。玉露も同じで、一番茶として摘まれた一芯二葉のみで製造される。煎茶では、一芯三葉をも含む、とある。
 最近そんな勉強もしたので、朝食時には、煎茶を一つまみ二つまみガラス容器にいれ冷水を少量注ぎ15分待って飲むと結構甘くコクがあって美味い。次に、40~50度の湯を注ぎ1分待ち、少し増えた渋みを味わい、次は、陶器に入れかえ電子レンジで熱い湯にして飲むと少し苦いが、葉も広がりトーストと混ぜて噛みしめても苦みはなく結構舌触りもよく食べてしまう。主成分はセルロースで食物繊維が補充され腸の薬ともなる。
 宇治市には、世界遺産平等院、塔の島、朝霧橋、世界遺産宇治上神社、源氏物語ミュージアムの主コースだけでなく、お茶の御もてなしも多く、先輩・後輩諸氏の方たち・会員諸先生方も、是非おこしいただき多々お楽しみ下さい。
(21年11月22日記す)

ページの先頭へ