30年近く前、私は京都から北海道への3年間の出向研修に行きました。札幌での研修の後は釧路の病院に行くことになり、不安もありましたが、ここでの研修は私の医師人生に大きな影響をもたらしました。
私は内科の研修中で、将来的にはリウマチ医を目指しており、札幌にいた指導医の「遠隔指導」(当時は電話)を受けながらリウマチ患者さんの診療にも従事していました。そこで年に1回だけ行われていた難病健診にも参加し、医療過疎地域では膠原病の方々がいかに専門医にアクセスしにくいかという現実を知りました。
米の作れない根釧原野では酪農が主要産業、なにしろ人口よりも牛の数の方が多いと聞きました。酪農家の方は自分の健康よりも生活の糧となる牛たちを優先する傾向にあり、残念ながら受診が遅くなり進行がんが発見されることもありました。
中でも衝撃だったのは関節リウマチの酪農家の方が自殺されたことです。リウマチで多関節痛があり、働けない自分は生きている価値がないと思われたらしいのです。仲間の方が来院され、「私たちの命の価値は牛よりも低いのです。でもこんなことではいけないと思っています。皆で勉強したい」と相談されました。当時この地域では、保険についても牛は全頭加入しているが、人間は未加入の人がいるとさえ言われていました。
そして、医療懇談会を開くことになり、未熟な私は何を話してよいのか戸惑っていました。しかし、当日は多数の患者さんが参加。リウマチ医療は日進月歩で、希望を持って治療してほしいと必死で訴えました。
月日が流れ、今では免疫抑制剤、生物学的製剤で関節変形をくい止めるまでに進歩しています。しかし高額な医療にアクセスできない方がおられたり、課題は多いと思います。「働けないのでは生きている価値がない」と思わせた酷い世の中は、どれくらい進歩したのでしょうか。極寒の釧路で学んだことを思い出しながら医師人生の後半を歩いて行きたいと思います。
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