特集1 地域紹介シリーズ・北丹 チーム北丹で地域医療もコロナも  PDF

 地域紹介シリーズ「北丹」として、今回は齊藤治人会長に地域の様子をお聞きした。また、北丹医師会会員有志にひとことメッセージをいただいた。

「海の京都」京丹後は風光明媚

 ――北丹医師会はどのような地域でしょうか
 斉藤医院から京都市内(保険医協会)までは車で約140㎞、約2時間半です。電車はここ2年利用したことはありませんが、利用している方に聞くと、コロナ禍の間引き運転で特急が少なくて不便らしいです。
 北丹医師会があるのは、京都府北部の京丹後市というところで、西には「城の崎にて」で有名な志賀直哉などの文豪が愛した「城崎温泉」、東には日本三景の一つ「天橋立」、北は夏は海水浴、冬は間人ガニの獲れる日本海に囲まれた広さ約500km2の田舎町です。海だけでなく農業も盛んで、果物も豊富です。
 京丹後市は2004年に丹後6町(久美浜町、網野町、峰山町、大宮町、弥栄町、丹後町)が合併してできました。当時の人口は6万5822人でしたが、21年9月には5万2997人になり、17年間で1万2825人減少しています。65歳以上の高齢化率は、合併当時は26・6%でしたが、21年4月は36・6%で、こちらは17年間で10%上昇しています。10万人の人口割にすると百歳以上の人(百寿者)の多い地域であり、京都府立医大が長寿の研究をされています。ちなみに、15歳以下の人口は6700人で全体の約12%しかありません。
 京都市内からは少し遠いですが、海も山もあって風光明媚なところです。おいしい物もいっぱいありますが、高齢化が進み人口減少と若者が働くところが少ない町とも言えます。

 ――先生がここで開業を決意されたきっかけは?
 「なんとなく」が一番近いですね(笑)。当時33歳でしたが、結果的には父が亡くなり跡を継いだ形でしょうか。
 1988年の夏、私は愛知県にある藤田医科大学病院の消化器内科に勤務していました。ある日、父から1枚の胸部レントゲン写真が届きました。電話をかけると、父は淡々と症状の説明をしまして。その写真を病院に持っていき、お世話になっていた教授に相談して、実家の久美浜に急遽帰らせてもらうことになりました。父は兄のいる関西医大に入院しました。
 週1回は愛知の大学病院に、土日は父のところに行って、いろいろ開業医について教えてもらいました。嬉しそうに教えてくれましたね。兄夫婦と私たち夫婦の全員が医師なので、病室でその4人を見て、自分もいれたら医師が5人もいる、病院ができると喜んでいたのを覚えています。
 父はその年の12月に亡くなりました。父の背中を見て育ったので、開業後は父が患者さんにしてきたように、の自分版でやっていこうと考えました。夜間の往診もしますし、休日などで自宅にいなくても、斉藤医院に電話してもらえれば携帯に転送されるので電話対応をします。

開業医としての成長は地区医師会があればこそ

 ――長く務めてらっしゃる会長職に苦労はありますか
 会長職は1期2年で、2013年4月からですので、
現在5期目の9年目です。私ももう66歳です。見た目は若いのですが、身体のあちこちにガタがきています(笑)。ですので、10年の任期を全うしたら、会長を辞めると宣言しています。
 私が開業した88年当時、開業医は17医療機関ありました(最大30医療機関以上あったらしい)。親子以上に歳が違う先生方の中に入りましたが、春・秋の総会は当初全て夫婦で出席しました。そこでは父のいろいろなことを話してもらい、みなさんに可愛がられ、開業医として育てられました。
 職に就いた当初は、前会長の宮地吉弘先生にいろいろアドバイスをもらいました。また、私が開業した当時副会長だった山本一郎先生が「わしが一番年下だったが、あんたらが来て一番下ではなくなった」と、とても嬉しそうに話されていました。また、「わしはあんたのお父さんにいろいろ教えてもらった。今度はわしがあんたに教える番だ。その次はあんたが次の人に教える」と言われたことを、今でも鮮明に覚えています。
 その山本先生も数年前に亡くなられ、会長として初めて弔辞を読ませてもらいました。現在、私の開業当時を知る先生は誰もおられなくなり、開業医では私が一番古くなりました。
 会長職としての苦労というものはあまりありませんが、体力が落ちましたね(笑)。
 ――ここが北丹医師会の強みというところはどこでしょうか
 開業医数が10医療機関を切り1桁になるかもしれないという時期がありましたが、何とか持ちこたえ、21年に1医療機関が開業し、現在13医療機関です(5日以上外来をするのは12医療機関)。
 開業医が少ない分、みんなよく知っている友達のような関係です。ここが強み、良いところでしょうか。「みんな、仲良く、健康で、いつまでも!」がモットーです。この2年はコロナの影響で実施できていませんが、毎年、秋の総会後にバスで1泊旅行をしていました。病院の先生も参加されますので、病診連携のための親睦旅行と言えると思います。
 一方で、開業医の数が少ないということは、1人に担ってもらう行政や医師会関係の役割がかなり多くなり、それも多岐に渡ることになります。ほとんどの開業医の先生に理事になってもらっており、また病院の先生にも理事や副会長になってもらっています。
 統廃合が進む前の学校医・園医は、1人5~6校が当たり前でした。介護認定審査委員や行政からのいろいろな会議への出席要請、京都府医師会、京都府保険医協会等の活動などもあります。また、困ったことに役を1回引き受けるとなかなか辞められない。
 例えば私は、先に述べた山本先生に京都府保険医協会の金融共済委員に任命されました。いつまでやるのですかと聞いた時、「10年1クールだ」と言われました。10年もやるんですか?と聞き返したら、「10年やったらまた10年だ」と笑いながら言われました。恐ろしいことにこれが本当で、まだ金融共済委員をやらせてもらっています(笑)。
 会員のみなさんがそのことをよく理解して下さっているのですが、1人の先生にかかる負担は大変大きいものとなっています。これは数が少ない弱みですね。
 会長としては会員の先生方の負担を軽くするために、自分のできることは何でもやるようにしています。

コロナ対応は行政・医療者一丸となって

 ――そんな中、20年1月からコロナの流行が拡大していきました。北丹医師会はどう対応されているでしょうか
 コロナでは苦労しています。どこの医師会も大変だと思います。誰も経験したことがないのですから、「不安・恐怖」が先立ちました。ましてやPPE防護具が全く足りない状況では、患者さんを診たくても診られない。
 もし開業医自身が感染したら、その医療機関は14日間診療停止の状況に追い込まれます。当地区の開業医の数は少ないですから、1医療機関でもそんな状態になったら大変なことになります。
 特にマスクは大変苦労しました。京都府医師会を通じて1回目の配布があったのは随分経ってからでした。1医療機関に数十枚でしたが、それでもありがたかったです。
 保健所の発熱者対応の負担を軽減するため、20年秋には手上げ方式ですが、発熱外来(抗原定性検査、唾液のPCR等)への参加が求められました。幸い当医師会では多くの医療機関が参加を表明して下さいました。当時はどれだけの医療機関が発熱外来を実施しているのかは、保健所のみが把握していて教えてもらえなかったのですが。
 第5波では、自宅療養中のコロナ患者さんの往診の体制について保健所と話し合いを重ねていました。実際に動き出す前にコロナの状態が落ち着いてきたので稼働はしていませんが、少し落ち着いた今だからこそ、協議を継続する予定です。
 次にワクチン接種ですが、ワクチンの配給数やワクチン接種予想人数など何もわからない状況で、仮定で体制を組みました。当初は集団接種のみでしたが、ほどなくして個別接種も実施しています。
 地区独自の取り組みとしては、「もったいない接種枠」を作ったことでしょうか。接種の空き枠が出た際に次の優先順位枠の人で、30分以内に集団接種会場や各診療所に来られる人に来てもらうようにしました。
 接種では実際いろいろな副反応が出ました。これまでにアドレナリンを打った人が1人、迷走神経反射などの副反応がなかなか治まらず救急ブースで対応した人数が78人、病院に搬送した人は7人。ほとんどの方が外来対応で帰宅されています。最初の高齢者の時より、最終日が近づくにつれ多く発生しています。9月に入りワクチン接種を迷っていた人が接種に来られ、30代、40代の女性が多くなったと感じています。
 当初懸念された若い人の連鎖反応は意外と少なかったです。予防接種健康被害救済制度を申請した人は8月に2人、9月は0人で、10月は2人でした。
 会員数が少ない医師会ですので、集団接種の出務にあたっては、協力して下さる医師数で出務回数も変わります。土・日は集団接種、その他の日はほぼ毎日個別接種。毎日がコロナ、コロナでした。ほぼすべての会員が出務に協力して下さいましたが、それでも土・日連続で出務してもらう先生もいました。
 コロナの発症は、都市部に比べ少ないといっても発熱外来もやっていましたので、みなさんへの負担は大変重かったと思います。
 最初はコロナに対抗できる人類の手段は「ワクチン接種」だけだという気持ちで挑んでいきましたが、やれどもやれども終わらない。いつまでやるのだろうと、先の見えない不安も手伝い疲弊していきました。何とかめどがつき、10月いっぱいで集団も個別も終了。残りの希望者は二つの市立病院で受けることになっています。

リタイア後は丹後を離れて自由に! !

 ――北丹医師会の今後の課題はありますか
 会員の平均年齢は若返ってきていますし、あえて言うとすれば開業医が峰山・大宮町以外に少ないことでしょうか。
 また、最近は内科を標榜する診療所が減りました。往診や訪問診療、看取りなどがどうなるか、という懸念は少しあります。実際、病院に往診担当医が配置されていたりします。
 また、課題ではないのですが、私が勝手に作った北丹の「70歳閉院説」というのがありまして(笑)。閉院しても地元にいたら何かと仕事をさせられるので、丹後を離れて残りの人生を自由にという先生がちらほらおられます。
 ――最後に協会に何かご意見等はありますか
 いつも北丹医師会と協会の懇談会では、今の医療の「キモ」というか、知っておかなければならないことを丁寧に解説してもらっているので、それを続けてもらえればありがたいです。
 ――本日はありがとうございました

齊藤治人 氏
北丹医師会 会長
斉藤医院
斉藤医院湊分院(久美浜)

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