民は「知るべし」、民は国を「由よらしむべし」
菅総理の紋切り型の「安心安全のオリンピック」答弁に、「知らしむべからず、由よらしむべし」(論語)の高圧姿勢を見るのは私だけであろうか? 「余計なことを言うな。従えばよい!」という冷たい姿勢が顕著である。
著者は福島生業訴訟の原告の一人で退職した高校の「歴史」の先生である。文章力が非常に卓越していることは言うに及ばず、正鵠を期するため丹念に事実と記録の引用を積み重ね、その記述の手法は、20世紀の歴史書として有名なトロツキーの「ロシア革命史」を思い起こさせる。
原発の歴史は、1950年代に遡る。米国の核戦略に従う産業振興の一環として中曽根氏は、秘密裏に中央財界政界および地方議員に根回しの上に原発導入を画策した。現在に至るまで一貫して都合の悪い真実を国民に隠し、欺き、懐柔し、従わせる原発推進政策の原型はこの時期から変わらない。
1960年代には、産業振興の名目で、福島県のへき地であった大熊町と双葉地域に原発が誘致される。著者はこの地域に教員として74年に就職し、原発反対運動に参加する。この頃に、福島第二原発の誘致がはじまる。
本書中心テーマは、著者とその仲間の教員が参加した75年1月から始まった17年9カ月にわたる福島第二原発の差し止め訴訟の記録である。その訴訟の中で、地震や津波では、「緊急炉心冷却装置が作動しない可能性」があることを、原告は明確に指摘していた。しかし、地域では「奇人」「変人」「アカ」扱いをうけ、高裁での異例の裁判長による「原発推進は必要」との説教の上、敗訴という屈辱も味わう。最高裁でも、異例の原告不在の「上告棄却」となる。
しかし、2011年の3月11日で事態は一変する。「奇人」「変人」「アカ」が一夜にして預言者となった。しかし、著者らも被災。居丈高に批判するよりも悲しさを感じ、大きな被災者運動である「福島生業訴訟」原告となる。現在、著者らの法廷闘争は、反原発運動へと大きく育っている。
1970年代の福島県下の社会党の介入で市民運動は破壊され、法廷闘争に注力せざるを得ない状況となったため、市民運動としての力を蓄えることが十分できなかった。これは法廷闘争の限界であり、運動を大きく育てるためには、「黙々と、粘りづよく、挫けず、無理強いせず、互いに励ましあい、学習しながら、心通わせること」が大切だと説く。政権交代が叫ばれる今日、示唆に富む。
標題は、炉心融解し水素爆発した「福島第一原発」ではない。「福島第二原発」である。何故 福島第二原発なのか? 是非このミステリーを読み解いていただきたい。「黄金の釘」が見つかるはずである。我が国の原発政策に関心を抱くすべての日本国民の必読書である。
『裁かれなかった原発神話―福島第二原発訴訟の記録』
松谷彰夫 著 かもがわ出版
2021年2月 1,980円(税込)