反核京都医師の会が4月3日に定期総会をオンライン併用で開催した。核兵器禁止条約が2月に発効したことを受けて政府に条約批准を求めるなど核兵器廃絶に向けた活動とともに、原発ゼロに向けての活動を21年度方針で確認した。また、佐藤晋(歯科)世話人の副代表就任など役員体制も承認された。
講演
ビキニ事件の一刻も早い救済を
核被災支援センターの橋元氏
市民講演会は「ビキニ事件の真相を追い続けて~『ビキニ国賠訴訟』から『ビキニ労災訴訟』へ~」をテーマに太平洋核被災支援センター副代表の橋元陽一氏が講演した。
1954年のビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験により、被災した船は第5福竜丸のみならず1000隻を超えるといわれる。当時の日本政府は、アメリカと早々に政治決着を図り、被災した船の放射線検査すら打ち切った。無論、何ら保障もなく、多くの漁船員が生命を落としている。この事実を追求してきたのが、高知県の元高校教師の山下正寿氏(太平洋核被災支援センター事務局長)らで、85年から高校生とともにフィールドワークし、数々の証言を得ながら真実を追求し続けてきた。橋元氏も同じ高校の教師として山下氏と活動をともにしてきた経緯を説明。
16年5月には、国家賠償請求訴訟を元漁船員と家族45人の原告団で高知地裁に提訴。政府が60年余、ビキニ事件被災資料を隠し続けたこと、被災者に何の救済措置もしてこなかったことについて国の責任を問いただすもの。18年7月20日の判決は、国家賠償請求権は除訴期間を過ぎているとした一方で、第5福竜丸以外のマグロ船と船員の被曝を認め、「救済措置については原告の被爆者援護法の適用は認められない。救済の道は立法府および行政府の一層の検討に期待する」とする歴史的な内容。高松高裁への控訴審は19年12月12日に判決があり、控訴を棄却するも地裁の救済の道を否定しなかった。
国賠訴訟の一方で、船員保険法による労災保険適用を求める申請をしている。しかし、厚労省研究班は被曝線量を過小評価し、厚労省社会保険審査会が最終的に不承認とした。時間的猶予が許されないなか、1日も早い救済の実現を目指して、国賠訴訟は上告せず、労災の不承認処分取り消しを求める裁判に切り替えて20年3月、高知地裁に提訴。同年7月には日弁連が「元漁船員らの健康被害に対する救済を求める意見書」を提出している。
21年2月には核兵器禁止条約が発効。条約には被害者支援が盛り込まれている。70年近く国から見捨てられてきた被災船員に一日も早く救済をと訴えた。