協会は、「寺之内小川界隈の史跡を訪ねて」をテーマに文化ハイキングを3月28日に開催。以下に参加記を掲載する。
歴史探索を堪能
田林 徳昭(宇治久世)
文化ハイキングは秋が恒例でしたが、新型コロナ感染症のせいか、この3月末に行われました。会員・家族参加者は4人でした。
小雨の朝、堀川寺之内の角で集合です。東に向かい、小川通(おがわどおり)との角の百々橋跡を見学です。小川(こかわ)はもうなく、跡だけです。小川通は応仁の乱の東西境目で、山名宗全の陣が由来で「西陣」と称されるようになったとのことです。北上すると不審庵(表千家)、今日庵(裏千家)と、私には縁がうすい庵に通りかかります。
さらに北へ、本法寺の桜を背景にみなさんで記念撮影です。墓地で長谷川等伯の真新しい墓を見学、さらに本阿弥光悦が植えた松、等伯の像を見ました。ここは京都日蓮宗の本山で、1436年に日親上人が創建しました。
移動中、私が「涅槃は4月8日」とつぶやき、講師の脇野博昭先生が「3月15日で、4月8日は誕生日、悟りを開いたのは12月8日」、田林「開戦記念日ですね」といった会話を楽しみました。涅槃会館には等伯の涅槃図(1599年)が飾られています。この期間はレプリカではなく本物です。吹き抜けの2階から見たのは壮観でした。
さて、寺之内の南の鳴虎報恩寺に移動です。浄土宗知恩院派の寺院です。門前には水のない小川に石橋が架かっています。「このほどはうき世の旅にまよいきて いまこそかへれあんらくの空」
この寺で客死した黒田長政の辞世の句で、位牌は本尊横にあります。後柏原天皇から多くの宝物が下賜され、寺名の由来となった鳴虎図(レプリカ)があります。見る方向で虎の姿勢が変わります。寅年(2022年)の三が日には公開予定だそうです。細密な厨子入千躰地蔵菩薩像は保存のために京都国立博物館に寄託中だそうです。御住職がお一人で楽しく説明して下さいました。
以上、コンパクトな地域の濃い内容でした。