特別寄稿 準強制わいせつ被告事件を通じて ― 刑事裁判の実情 弁護士 福山 勝紀  PDF

 2016年5月10日、東京都足立区の柳原病院で自身が執刀した女性患者に対してわいせつな行為をしたとして、男性外科医が準強制わいせつ罪で逮捕・起訴された。19年2月20日、東京地方裁判所では無罪判決が出されものの、20年7月13日、東京高等裁判所では一審の無罪判決を破棄され、懲役2年の実刑判決が出された。現在、裁判は継続中であるが、当協会の顧問弁護士の福山勝紀弁護士に、今回の事件と「日本における刑事裁判の問題点や実情」について寄稿いただいた。

 とある乳腺外科医の医師が2016年5月10日に準強制わいせつを犯したとして、起訴された。その後、19年2月20日に東京地裁で無罪判決が出され、20年7月13日に東京高裁で有罪判決が出された。
 刑事事件を正確に評するためには、すべての証拠を確認したうえでないと難しい側面があるが、判決で示されている事情等から、本事件の問題点、ひいては刑事裁判の問題点を検討したいと思う。

刑事裁判における原則論

 刑事裁判は、「疑わしきは被告人の利益に」と言われる言葉、いわゆる無罪推定の原則が存在する。語弊を恐れずに言えば、訴えられている被告人(ニュースでは「被告」と言われる)が有罪であると確信できない限りは、被告人を無罪とすべきとする原則である。
 しかしながら、同原則は簡単にゆがめられてしまうこともある。
 先日、最高裁で決定が出された袴田事件等もその一例である。被告人が罪を認めた自白を重視し、客観的な証拠をほとんど重視しないまま、また捜査機関が捜査している以上、有罪であるに違いないといった裁判官の思い込みにより、本来無罪とすべき事案であっても、有罪になることも否定できないのである。

乳腺外科医が起こしたとされる事件について

 16年5月10日、とある乳腺外科医(以下、「X」と言う)は、手術後の抵抗できない患者Aに対して、病室内で、左胸を舐めたり、吸うなどして、わいせつ行為を行ったとして起訴された。
 前提事実として、XはAの主治医であり、同日14時から14時32分まで右乳腺腫瘍切除術を行っていた。Aは、13時35分から14時42分頃まで麻酔をかけられていたが、総量は、笑気約60㍑、セボフルレン約15㏄、プロポフォール約200mgであった。
 なお、公訴事実(検察官が立証しようとする罪となるべき事実)では、14時55分から15時12分までの間に上記行為が行われたとのことであり、公訴事実には入っていないものの、Aの供述によれば、Xはその後病室内で自慰行為をしていたとのことである。
 これまでに多く判例の分析が出されているところであり、本稿では、詳細な分析は省くが、同事件における争点は大きく分けて二つである。
 Aの証言が信用できるか(せん妄状態であったかどうか等)とDNA定量検査により検出された1・612ng/ulという数字から舐めたり吸ったりする等の行為をしたと言えるのかである。
 地裁判決では、検察側証人と弁護人側証人の信用性を比較したうえで、犯行当時Aがせん妄であった可能性が相当程度認められるとし、またDNA鑑定についても鑑定人の誠実性に欠ける側面があること、Xが術前検査や手術室内で手術内容の打ち合わせをしていたこと等から、犯行がなかったとしても、左胸に唾液がついている可能性があるものとして、無罪判決を言い渡した。
 高裁判決では、検察側証人(せん妄に関する専門の研究者ではないが、臨床経験は豊富にあるとのことである)と弁護側証人(せん妄に関する専門の研究者ではあるが、高齢の患者を多く見ているとのことである)を比較し、検察側証人の信用性が高いとし、少なくともせん妄に伴う幻覚は生じていなかったと認定したうえで、DNA定量検査で得られた量が多く、術前検査等で唾液がついたとするには説明がつかないとして、有罪判決を言い渡した。

刑事裁判の問題点

 報道によれば、本事件は、XがAの顔写真を撮影していたり、家を出てから手術直前まで手を洗わなかったと述べたりと通常からすれば違和感がある事実もあったようである。
 他方で、高裁判決では、検察側証人が「学会において一般的に承認された考え方」を取っていないことを認定しながらも、せん妄ではなかったと述べた証言は信用でき、そのため、Aの証言が信用できるとしており、違和感がある。
 誤解のないように述べるが、「疑わしきは被告人の利益に」というのは、必ずしもすべてを被告人にとって有利に解釈しなければならないとするものではない。しかしながら、その一方で、他の患者が多数いる大部屋において、カーテンレールで仕切られているからといって、わいせつ行為をすることの不自然さ、その後自慰行為をしたという極めて違和感のある被害者の供述について何ら答えないまま有罪判決を出している高裁判決には疑問を感じざるを得ない。
 本件を無罪であるか有罪であるかを私が論じることはできないが、実際の臨床を裁判官にきちんと知ってもらい、せん妄とは時に想像できない幻覚が生じることは裁判官に知ってもらうべきであろう。
 結局のところ、多くの裁判官は医学的に素人であり、特に刑事事件においては、検察官が訴えてくるものは、基本的には有罪であるというイメージをもったうえで、結論を先取りして、その結論に沿うような証拠を採用していくといったところに刑事裁判の問題点(民事でもその点は同様であるが)があるというほかない。
 裁判官によっては、そうではない裁判官もいることは否定しないが、弁護人が提出している証拠も公平に判断し、誰から見ても、適正な裁判が行われることを期待したい。

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