死んでたまるか17 ただいま、リハビリ奮戦中 垣田 さち子(西陣)  PDF

地域リハ拡充が必要だ

 2018年の暮れが近づいていた。
 大阪の関電病院・回復期リハビリテーション病棟に、脳血管障害の入院治療で認められる日数制限180日いっぱいまでいることにした。家に帰ってリハビリを行うにはどうしたらいいのか、まるでイメージがわかない。在宅リハとしては、制度として医療機関での外来リハ、介護保険での訪問リハ、通所リハがあるのだが、リハビリを精力的に提供している介護事業所がなかなか見つからない。できるだけ身内を頼らず然るべきところをみつけたいと考えていた。退院後2カ月間は医療の外来リハで診てもらえるとして、その後は介護保険の提供するリハビリに移るのが国の方針である。介護保険スタート時からこの方向性はいわれていて、改定の度に「医療保険の外来維持期リハ終了」が提案されるのだが、その都度、現場からの強い反対意見が出され「次期改定時に…」と引き延ばされてきた。これは私たちの運動の成果だ。しかし、それがついに19年4月付で実行されてしまった(ただし、医師が回復の可能性を認めた場合にはその点をレセプトに記載しリハを続けることは可能である)。
 私も超急性期、急性期を経てずっと回復傾向を示していたが、11月頃からはその傾向がだんだん緩やかになっていった。
 同じ病棟の患者さんや担当看護師さんたちと楽しく過ごしたとは言うものの、この先の人生目標は見つからないままだ。リハビリの効果が緩やかになっていくことにも焦りを感じ、ひとりで考え出すとどこまでも沈んでいく。
 リハビリが完結したわけではないのに退院日程が2月の連休に決まった。私はひとりで歩けず、車いす生活になった。自分の足で歩きたいと、家族に杖がほしいと訴えているが、家族はひとりで歩けないのだから杖は渡さないと言う。では、どうやってリハビリをしろと言うのか。このままの状態を受け入れろということだろうか。
 私も患者さん、あるいは家族の人に「(患者さんは)障害受容ができていないから、何でも自分でしようとしはる。気をつけなあかんよ」と伝えてきた。医師として伝えてきたことだが、娘から今同じことを言われている。「お母さんは障害受容ができていない」。
 患者の立場になってみれば、元通りとはいかなくてももう少し頑張りたい。もう少し何とかなるはずだと考える。そして、その気持ちが日々のモチベーションになる。現時点の自分の状態を受け入れろというのは、これ以上の回復は望めないという宣告と同じだ。医師として患者に対し障害受容できていないと指導していた自分を反省した。
 多少のリスクを冒しても、動かないことには身体機能の改善は求められない。一方、ここで骨折したらこれまでのみんなの苦労が無駄になると家族に言われると、ひるむ自分もいる。葛藤が続く中、それでも回復を目指し、外来リハへの通院を開始した。
 通いだした医院には常駐の医師が2人いるが、リハ科の医師ではない。これまでの私の急性期、回復期での入院も京都府の医療機関ではない。
 これまでの間、私は少しでも京都のリハビリの提供体制を充実させたいと、微力ながら協会活動での取り組みをはじめ、京都地域リハビリテーション研究会などにも参画し運動してきた。しかし、京都市が身体障害者リハビリテーション附属病院を廃止するなど、リハビリに対する公的責任の後退は著しく、診療報酬での算定要件など制度への縛りも厳しさを増す一方である。患者となった今、ますます地域のリハビリの提供体制拡充が必要との思いを強くした。

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