特別寄稿 人類の宝 ―― 無差別平等の歴史  PDF

社会医療法人社団三草会クラーク病院
リハビリテーションセンター顧問
岡本 五十雄(北海道札幌市)

 障がい者は人類の歴史の中でどのように生きてきたのでしょうか。
 日本の遺跡や貝塚で縄文時代の子どもや年長の障がい者の骨が発掘されています。縄文・弥生時代の平均寿命は15歳です。15歳以上の骨をみても31歳ぐらいです。
 子どもでは、千葉県の房総半島にある佐野洞窟遺跡から小頭症で成人になっている人の骨が発掘されています。当然、知的発達が遅れています。その歯から推測して20代後半まで生きています。
 北海道の洞爺湖町(旧虻田町)の入江貝塚から、頭の骨はふつうの大きさですが、全ての四肢の骨が痩せ細っている骨が発掘されています。その状態から、10年は寝たきりであったと推測されています。
 これらの事実から、障がい者は家族や地域全体でケアされてきたと考えられます。
 外国の遺跡では、マレーシアのベラ洲にある洞穴から1万1000年前頃の40歳ぐらいの男性の障がい者の骨が発掘されています。
 古代エジプトでも背中が曲がっているミイラや下半身麻痺のミイラが見られます。
 また、古代エジプトの社会を端的に象徴する「障がい者セネブの家族像」と呼ばれている彫像があります(写真)。4600年前です。両手両足の短い夫と妻が腰掛けて、妻は夫の肩に手をまわしています。その下に二人の子どもがいて指をしゃぶっています。とても幸せそうです。障がい者セネブの仕事は、王族たちの衣装を管理する責任者であったのです。
 次に、今から20万年前から3万年前までヨーロッパから中東にかけて住んでいた旧人ネアンデルタール人についてみてみます。イラクに6万年前のシャニダール遺跡があります。ここに40歳くらいで亡くなった片手の先がない男性の骨が発掘されています。ネアンデルタール人は、狩猟生活で鹿やカモシカを捕っていました。片手が使えないということは非常なハンディキャップを持っていたと考えられます。このように障がい者が地域で差別なく一緒に生活してきたのです。
 ネアンデルタール人は戦争が好きな現生人類に戦いで敗れて絶滅したと言われていましたが、戦いはなく共存していたことが明らかとなっています。狩猟生活では奪うものがないので戦う意味がないのです。戦いは得るものがないまま自らを滅ぼすことになります。私たちはネアンデルタール人のDNAも受け継いでいます。絶滅は現生人類の持ち込んだ疫病であることがわかってきました(私は20年以上前から友人にこのことを話していました)。
 さらに遡ります。2005年にグルジアの180万年前の遺跡で、歯が全て抜け落ちた状態で生き延びていた原人が発見されました。数年間は生きていました。誰かが食事を柔らかく下ごしらえしていたと考えられています。
 現代に転じてみます。第二次世界大戦まで、 サハリンに300人ほどで暮らす先住民族「ウイルタ」がいました。トナカイとともにサハリンを遊牧・採集・狩猟をしてきた自然の民でした。私有財産はなく、貧しくとも一人の収穫はみんなで共有しました。ここでは、階級がなく、上下関係もなく、平等で暮らしていたのです。当然女性差別もなかったでしょう。
 人類には厳しい時代ほど他者を慈しむこころがあったのです。
 無差別平等の医療は人類の歴史(人類の宝)を受け継いでいるのです。
 格差、差別や戦争は米や麦(これらは富と言えるものです)を蓄積する時代から始まったのです。米や麦の生産が決して悪いことではありませんが、格差社会の現代、人類の歴史から学ぶべきことは多いのではないでしょうか。

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