死んでたまるか ただいま、リハビリ奮戦中 15 垣田 さち子(西陣)  PDF

「障害受容」って?! (その②)

 関電病院回復期リハビリ病棟は快適だった。有能なやさしいスタッフのみなさんに大事にしてもらい「もう少しご飯を…」なんてとても言えない、楽しい日々が過ぎていった。定期の検査で全身状態をチェックしながら、規則正しい毎日を過ごすうちに体重も減り、血液状態もほぼ正常化し、課題であった循環器系も落ち着きが見られた。リハが着々と進み、PTのサポート下に四点杖で100メートルある廊下を5周以上の距離を歩けるくらいの体力はついてきた。
 気がつけばもう師走、年の暮れが近づき、家のことが気になり出した。夫が1人で頑張ってくれているが、大変である。診療の合間をみつけては大阪まで来てくれるのだが、話を聞けば聞く程、放っておけない現実が迫ってくる。娘が「お母さんは京都に帰らない方がいいよ」と言っていた意味が分かってくる。いろいろあるのだ。母を守ろうとして娘はずいぶん頑張ったんだろう。「なんでみんな我慢することができひんのやろ」とぼそっと言ったことがあり、気になっていた。職員はどうしているか、心配しているだろう。訪問診療していたHさんら私の患者さんたちは? 学校医は? 特別学級の新入生選考がある時期だ。産業医をしている事業所のみなさんは? 健診の委員もあったし、介護保険の認定審査委員もあるし、立命館大学の講義は? もちろん保険医協会も。大変なご迷惑をお掛けしてしまった。それぞれに夫、お嫁さん、娘達が手分けして当面のカバーはしてくれたのだが、ちゃんと引き継ぎをしなければ。
 いつまでも入院生活をしている訳にはいかない。いつ帰ってもいいように準備を始めなければならない。まずは排泄の自立である。転院時には3人介助だったが、今や1人で良くなっている。しかし、自立ではない。夜間のトイレも想定するとポータブルトイレを使おうという堤案がなされた。冗談じゃない。トイレに行きたい。ポータブルトイレなんか使いたくない。車椅子から便器への移乗ができれば1人で行ける。問題は適切な手すりが設置できているか。右側に立ち上がり15センチ、背丈の高さの手すりがあれば、左片麻痺であっても1人でトイレが使える。右腕をバーに通し、首と肩でバーを挟んで体を固定すれば、右手で衣服の着脱ができる。実践的なこれらのアドバイスをしてくれたのは、チームリーダーであったベテラン看護師のOさんだった。彼女はまた「夜はおむつを使いましょ」と驚きの提案をしてくれた。高分子ポリマーという文明の利器を利用しない手はないと言う。他にも細かい実生活に即したヒントをたくさん教えていただいた。こういう方がおられることが全体の安心につながるのだ。
 娘は休みをもらって、私の介護生活のための実家の改造に力を発揮してくれた。トイレのバーも理想的な形でつけられていた。よくやってくれていたのだが、なかなか言うことを聞かない私に「お母さんは障害受容ができてない」。
 私もよく使っていたこの言葉。患者さんや家族の人に「障害受容ができていないから、なんでも自分でしようとしはる。気をつけなあかんよ」と言っていたのだ。言われて初めて、患者さんを非難する傾向があることに気が付いた。

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