診察室 よもやま話 第20回 飯田 泰啓(相楽)  PDF

おへそのゴマ

 私たちは普段自分の身体の存在を気にもかけずに過ごしている。気にせずに過ごせているのは、身体が順調に機能しているからであろう。誰しもどこかに不調があると身体が気になり、重大な病気ではないかと気になるものである。
 しかし、わずかな不調を大きく考えすぎるタイプのひとがいる。Wさんもそんなひとりである。
 「最近、排尿する時に痛むのです。婦人科で膀胱炎だといわれてお薬を飲んでいるのですが、よくならないのです」
 「それなら、膀胱炎じゃないの。そのうちお薬が効いてくるでしょう」
 「でも、右足の付け根にグリグリがあって痛むのです」
 「どれどれ、ここですか。ここはね、鼠径部で動脈があるから押さえると痛いのですよ」
 「だって、先週は口の周りにヘルペスとかでブツブツが出たし。舌も白いし、これってカンジダでしょ」
 「何を心配しているのですか」
 「わたし、きっとエイズなのです。本に書いてあるのとそっくりです」
 Wさんが何を心配しているのかが分かった。ちょうど、マスコミで毎日のようにエイズのことが取り上げられていた頃のことである。
 エイズの抗体を調べて納得してもらうのに苦労したものである。
 それから数年して、また青ざめた顔をしてお見えになった。
 「また、お腹が痛い痛いと思っていたら、やっぱりガンだったのです」
 「どうしたのですか」
 「お腹にしこりができてきたのです」
 「まあ、泣かないで、お腹をみせて下さい」
 「何もありませんが」
 「ここ、ここです。胃のしこりでしょ」
 「どれどれ」
 「これはねえ、剣状突起といって、誰でもあるのですよ」
 「だって、これまでこんなものはなかったもの」
 「これまで気がつかなかっただけですよ」
 「よかった。本当に大丈夫なのですね。だけど心配だから胃の検査をして下さい」
 いろいろと身体中をいじくりまわしていると、誰だっておかしくなる。それを病気だと思うと、エスカレートしてくる。ストレス社会の中で、心の病が増加している。ちょっとした環境の変化で、誰もが陥る可能性がある病気だから要注意である。
 またまたWさんが時間外に来院された。
 「お腹が痛くって痛くって仕方ないのです」
 「また、いつものですか」
 またかと言われ、照れ笑いはしているが、顔はまじめである。
 「今度は本当に病気なのです」
 「おへそを触っていると、お腹が痛くなったのです。そうしたら、へそから腸が飛び出してきたのです」
 「なんですって」
 「腸が飛び出して腐って臭くなってきました。とってもお腹が痛くなって我慢できないのです。腸が飛び出てきても大丈夫とはいかないでしょう」
 「それは勿論、腸が飛び出したら大変ですが」
 「でしょう。だからあわてて来たのです」
 「だけど、腸がへそから出るわけはないでしょう」
 「でも、出ているでしょ。ほら」
 臭いにおいのするへそを出してみせている。確かにへそにたまった黒い垢が大きく飛び出している。こすったとみえて、周りは赤くただれている。ここまで赤くただれると痛くなるのは当然である。
 「腸が出てきたはないでしょう。こんなもろもろのゴマだけじゃないですか」
 「……」
 「それにしても、へそのゴマを取るとお腹が痛くなるって本当なのですね」
 時間外にどうして臭い思いをしなければとは思いながら、へそのゴマとりをした。人の思い込みとは恐ろしいものである。素直なWさんにとっては、気にかかることすべてが重大事である。
 それにしても、重大な病気の患者さんばかりでは息の詰まってしまう毎日の中で、Wさんのような存在も貴重である。Wさんを心の病気と決めつけるのは簡単ではあるが、それだけでも解決しない。
 次は、どんなことで来院されるか楽しみである。

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