診療室よもやま話 第19回 救急搬送 飯田 泰啓(相楽)  PDF

 診療開始前から待ってくださる患者さんがあるかと思うと、終了間際に駆け込まれる患者さんがある。誰しも待ち時間は苦痛である。診療時間の始めと終わりに患者さんが集中して、真中の診療時間帯は、私が患者さんを待つことになる。かけ込んでこられた患者さんの診察も終わった頃、電話が鳴った。
 きっと、少し遅れるから診てくれという電話であろう。
 「救急隊から電話です」
 どうも、ちがう用件の電話のようだ。
 救急隊には、よくお世話になる。先日も、寝たきりのNさんを往診先から某病院に転送してもらった。80歳代後半のNさんは、二年ほど前までは杖をついて診療所にこられていた。しかし、次第に歩けなくなり寝付いてしまわれた。
 先日は39度の発熱があると訪問看護師からの連絡があった。この数日、微熱があったらしい。往診したのが夜9時ごろである。患者さんは喘鳴が激しく呼吸もおかしい。
 「いつからゼイゼイいっているのですか」
 「ゼイゼイって? なにか、おかしいですか」
 「食事は摂れているの。むせなかったの」
 「いいえ。昨日は少しおとなしかったです。でも、口に入れただけ食べました」
 流動食を口に入れたら、すべて飲み込んだのでどんどん与えたらしい。むせるだけの元気もなく、ほとんど誤嚥したようである。
 この肺炎を在宅で治療するには限界がある。家族を説得して、救急隊に連絡して入院させた。
 Nさんに何かあったかと考えながら電話に出た。
 「先生、お宅の患者さんが腹痛で、苦しんでいます。先生のところに、運んでくれと唸りながら言うので運んでもいいですか」
 先日の搬送のお返しであろうか。こちらに患者さんを搬送してもよいかとの問い合わせである。それにしても、診療所に救急車が搬送してくることは珍しい。
 これまでもときどき鼠径ヘルニアで来られた患者さんであった。きっと鼠径ヘルニアだろう。しかし、ヘルニアを還納することができればよいが、うまくいかなければ外科にお願いしなければならない。こちらで引き受けていいものやら迷ってしまう。
 「で、患者さんの腹痛は強いの」
 「ええ、冷や汗を流しながら、うずくまっています」
 「だったら、病院に運んだらどうなの」
 「どうしても、先生のところに運んでくれと言って聞かないのです」
 困った患者である。こちらに来ると言い張って救急隊を困らせている様子である。いつも救急隊にはお世話になっているので、無碍に断ることもできない。
 「まあ、運んでもらって悪くはないですが。どうにもならなかったら、転送して下さいね」
 「分かりました」
 電話の向こうの救急隊員のほっとした様子が伝わってくる。
 しばらくして、ピーポーピーポーのサイレンが聞こえてくる。サイレンが止まると、救急車の到着である。転送のことも考えて、急いでストレッチャーの患者さんのところに行く。
 「痛い、痛い」
 大騒ぎである。
 「どこが痛いの」
 「お腹、いつものやつです」
 それでも、いつもとは様子が違う。お腹を触ったが痛いとはいうものの、鼠径部も腫れていない。さては、痛みでどうにもならなくなって救急車を呼んだものの、途中で自然に還納したと思える。患者さんに恥をかかすわけにはいかない。
 「分かりました。こちらで、後の治療を引き受けます。搬送ご苦労様でした」
 「それでは、よろしくお願いします」
 とりあえず、救急隊にはお引き取り願った。
 「いや、たいした演技だね」
 「本当に痛かったのですよ。でも救急車が来るまでに治ってしまって。病院に送られて、すぐ手術されるとかなわないから」
 「こんなことを繰り返していても仕方ないから、今度はちゃんと手術してもらうのだよ」
 外科宛ての紹介状を渡して帰っていただくことにした。

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