私のすすめる 西安・咸陽への旅の思い出 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

コロナでこもりナガラも夢は世界に羽ばたこう

 このゴールデンウイークは世界旅行にも行けず、裁判所提出用の書類の執筆構想に時間を要しそれに打ち込んだ。しかも、相手方は、思い付きのような反論主張をして、その理由やそれを実証する要件となる事実を示さず、再反論できないとかえってこちらが不利益を被る巧妙さが見え隠れする。京都府保険医協会医療安全対策部会でご指導を得た、47年間ご就任の元顧問・辣腕弁護士のA先生を思い出す。連休明けは、これまでにない血圧上昇から頭痛・ふらつきに見舞われながら、ついでに食べすぎ・運動不足で胸やけ・胃酸過多症状に苦しみ、カルシウム拮抗剤と消化性潰瘍剤を朝食後と眠前に服用し、前者はすでに3カ月以上の継続である。
 実は私は、中学生時代に祖父母・両親家族と宇治市に転居し、他市の医療機関に赴任やら、当時まだ西ドイツのケルン大学に留学やら不在時期を除き、特に1988年10月の整形外科・リハビリテーション科・小児科診療所開設以降は、妻子と長らくこの市の住人である。宇治市は、ヌワラエリヤ市(スリランカ)、カムループス市(カナダ)とともに、西安市近隣の咸陽市とも友好都市の盟約を結んでいる。
 シルクロードの東の起点の西安は、秦を始め中国の11王朝が都と定めて繁栄した。旧名は長安、唐の玄宗皇帝と楊貴妃との安録山の乱による離別の物語が有名である。また、近郊の咸陽では、秦の始皇帝の墓を守る兵馬俑が発掘され、その規模は、一部を写真撮影して見るだけでは想像を絶する広大さとされる。
 宇治市庁舎2階のロビーには、20周年記念に贈呈された兵馬俑の2体の兵士像が展示されており、現地で実際に見たいとも感じた。
 そこで、2017年5月3日関空発~5日帰国のJTPの企画「世界遺産“兵馬俑”“秦の始皇帝陵”と楊貴妃ゆかりの西安3日間」に、いつもながら少々高料金に思えたが、妻と次女とで参加した。
 1日目、関空には早朝5時半に自宅前でジャンボタクシーに乗って移動し、青島経由で西安空港に着き、4時半頃(時差マイナス1時間)地元日本語ガイド任向洋さん案内の専用バスに乗り込んだ。まず回坊文化風情街を散策し、回教徒的な異国情緒も見え、特に世界一画数が多い漢字の一つ、意味不明の創作漢字の店旗が印象的であった(図)。宿泊は、シャングリラホテル西安に連泊した。
 2日目は、まず華清池の見学。玄宗皇帝はすでに55歳、息子の妻を尼僧にして還俗させた楊貴妃の22歳から傾国乱死の35歳まで、比翼の鳥・連理の枝たらんと長恨歌は白楽天に詠わせた男を狂わす色香とは何であったか、質実・勤勉・貞操庶民の自分には想像もつかない。
 次は、秦の始皇帝を死後も守り続ける精鋭軍団、兵馬俑の見学。兵士像の顔は各々異なり、身長は我ら現代人と同じで体格も大きく、すでに発掘されただけでも約8000体を数え圧巻の極みで、歩き巡るだけで疲れた。その後、秦始皇帝陵まで行き、昼飯には徳発長の餃子料理を喜び、午後は、阿倍仲麻呂記念碑のある公園で現地住民の気晴らしダンスに混ざって体を動かし、弘法大師空海が恵果阿闍梨の元で修行した今や新規建替えの青龍寺に参拝して記念に朱印帳と手作りとの白檀線香を購入した。夕食には、楊貴妃を喜ばせた、現代風アレンジの「楊貴妃宴料理」に舌鼓を打ち、陜西歌舞大劇院での唐歌舞ショーにも目を楽します、贅沢な1日であった。
 翌日最終日は、小雁塔やら、また、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を保存する高さ64mの大雁塔(写真)がある大慈恩寺を訪れて、「日日是好日」との思いを胸に、西安空港を飛び立ち、無事関空に着陸して、その日の内に帰洛した。

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