月に何度か無性にラーメンが食べたくなる。ひとたびスイッチが入ると頭の中にラーメンの映像がくっきり固定されて動かなくなる。そんなときは迷わずラーメン店へ。
京都で激戦区と言えば、左京区百万遍から一乗寺にかけてであろう。この界隈の店の人達は、他に負けないものを作り出そうという熱い思いを持っている。一生懸命に肉やガラを煮込んでいる職人さんの姿は美しい。こうした努力の末、オリジナルな味が創作される。ラーメンは芸術だ。
それでは激戦区へ行ってみることに。やってきたのは百万遍交差点近くのT店。カウンター数席しかない個人のお店で20年以上前からやっている。おすすめはチャーシュー麺、900円。麺が隠れてしまうほど、大量の豚肉がどんぶりの縁に花びらのように並んでいる。元気がない時でも、ここでスープと豚肉をいただけば、たちまち力がよみがえる。ラーメンは生きるエネルギーである。
百万遍といえば、東一条近くの鞠小路まり こう じ通り沿いに、10年ほど前まで東京ラーメンという店があった。お世辞にもきれいとは言えない古い建物の薄暗い店内で、大盛卵入りをよく食べた。ラーメン店に関して言えば、私見であるが、おいしさと店のきれいさは反比例することが多い。当時80歳を超えた店主のおじさん、京大が近くにあるせいか、学者のような風貌をされていた。タバコを吸い、時には鼻歌を歌いながらも、一食一食心を込めて作っていた。その様、哲学者あるいは求道者のよう。おじさんは、真摯に仕事に向き合う姿を通して、生き方、いい年齢の重ね方といったものを私たちに示してくれていたように思う。客の多くを占める学生達は、ここで腹ごしらえをして、青春の様々な思いを胸に秘めながら再びキャンパスへ戻って行った。人生とは? 愛とは? 恋愛とは? 時には甘い、時にはせつない恋の味がする東京ラーメンは若者の心の友である。
ラーメンで美を味わい、活力をつけ、人生を学び、傷心を癒す。今日も日本中で多くの人がラーメンを食べ、消費税を払い、それが医療、介護に回って人々の生活を支える。ラーメンは無償の愛。Many thanks
to Ramen.
MENU