追悼 木村敏之先生 穏やかな笑顔が印象的 関  浩(宇治久世)  PDF

 木村敏之先生の協会理事就任が1995年度、私は2年遅れで協会理事会に参加したことになります。協会活動の初めから、常にご指導をいただきました。先生は保険部会一筋に歩まれ、日本の医療体制の確立のみならず社会保障制度改善を、一貫してリベラルの立場で追求してこられました。ことに04年6月、保団連代議員会で、政府による社会保障全体の後ろ向きの見直し、改悪が企図される中、これではいけない、対抗軸としての「社会保障基本法」制定の必要性を訴え、このための運動を起こすべきではないかと提起されました。「同基本法」は「憲章」とともに、京都協会活動の核心である「社会保障制度改善」を中心に据えた協会運動のバックボーンとなっているのです。
 07年度理事長退任後、脳血管系の病を得、懸命の療養ののち、順調に回復されました。しかし、15年新たに血液系の病が発症、その後も病と闘いながら週に一度の病院外来を続け、協会の代議員会には愛用の中折れ帽をかぶり柔和な笑顔で出席され、議論では熱っぽく社会保障制度の改善を語っておられました。
 趣味は長年打込まれていた水墨画で、今回、何点かの秀作を拝見し、先生の多才な一面を目にすることができました。また、08年には保険医新聞で「満洲国からの引揚」を18回連載され、まことに興味深く読ませていただきました。
 19年に別の脳血管系症状を起こされ、20年5月22日、合併症のため奥様、ご子息、ご息女に看取られながら永眠されました。打ち解けた会合の際、促されてポケットより取り出す得意のハーモニカの演奏、きっと天国でもはにかんだ表情で演じられ周囲を和まされていることだろうと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。

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