協会は、「寺町通に沿って庶民信仰を探る」をテーマに文化ハイキングを12月1日に開催。日頃、何気なく通り過ぎる身近な街角に目を向け、歴史散策を実施。多くの寺社を回った。参加者は18人。以下に参加記を掲載する。
寺町界隈散策記
田代 博(右京)
集合地点の本能寺を参拝した。宝物館では唐銅香呂「三足の蛙」、刀剣、甲冑などに人気があった。本応寺は1415年創建時には油小路高辻にあり、大宮六角に移転して本能寺と改称、本能寺の変で焼失した後、豊臣秀吉の命で現在地に移転したという。
寺町通を南下して山本富士子邸跡の石碑をみて裏寺町に入り、本邦初の医学的解剖を行った山脇東洋の解剖碑所在墓地を見学。伊藤若冲親族の墓のある法蔵寺、そして新京極にある迷子のみちしるべを担っていた誓願寺、和泉式部ゆかりの誠心院、寅薬師の西光寺、親孝行の勤めを教える蛸薬師堂の永福寺。倒蓮華寺と呼ばれる安養寺は残念ながら閉鎖中であった。さらに「くさ除け」の善長寺、鳥居の笠木が道路脇の商店の壁に食い込んでいる錦天満宮、天津甘栗の林万昌堂の奥にあり、一遍上人遺跡碑がある染殿地蔵院を訪れた。
昼食は、田ごと本店で、光悦水指弁当をいただいた。上品な味付けと適度な量でデザートもあり十分満足した。
後半は四条通を渡って冠者殿社へ。商売繁盛、家内安全の神社で御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒魂(あらみたま)である。引き続き寺町通を南下し春長寺へ。信長を支えた武将、村井貞勝が創建し本能寺の変で討死したあと、その菩提を弔うため現在地に移したと言われる。南隣には火除天満宮があり高島屋駐車場の入り口からよく見える。蛤御門の変でこの周辺だけ類焼を免れ、その後の大火でも無事であったため火除天満宮と称される。
ビルを新築して1階に本堂が、上階にマンションが入る予定(工事中)の浄教寺、伊勢神宮の京都支社とも言える京都大神宮、その南には赤穂義士のリーダー大石良雄の母の墓や時代劇六大スターの一人、嵐寛寿郎の墓がある聖光寺、940年空也上人が創建し1591年に現在地に移転した空也寺を巡り、仏光寺通を西に、御幸町通を南に歩き、京都市学校歴史博物館に至った。
統合によって閉校になった開智小学校の校舎を利用して、1869(明治2)年に日本最初の学区制小学校64校が造られてからの資料・教材・作品などを展示している。学校給食も再現してあり、年代ごとに「こんなのがあった」と懐かしく思い出した。
わずか1㎞足らずの狭い範囲の中に数多くの史跡があり、普段何気なく通っているところに由緒ある建物などがあることに感動し、大切にしないといけないと使命感を感じた。また地元、太秦でも周辺をよく観察してみようと思った有意義な一日であった。