憲法違反の法律用語を変えよう
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
言葉は人間が生み出すが、人間は言葉に縛られる。
メディアの報道では見出しの力が大きい。ビジネスではネーミングが業績を左右する。人間の認知や判断は、論理的思考より、言葉の印象で決まることが多い。
医療の世界では、病名の変更が大きな効果をもたらした。痴呆を「認知症」に変え、精神分裂病を「統合失調症」に変えたことで、マイナスイメージは以前より小さくなった。用語変更には異論もあったが、社会生活上の不利益を軽減し、医療受診の敷居も下げたことは間違いない。
逆に問題なのは「生活習慣病」である。この用語が作られてから、単純思考で2型糖尿病などを自己責任と見る人が増えた。体質の違いも労働や生活の外部条件も無視される。せめて「生活習慣関連病」に変えないと誤解が拡大し、患者が不利益を受ける。
さて今回の本題は、法律用語である。難しい用語が幅をきかせている。法律を作るのが国会である(実際は政府提出法案が多い)という事情はあるが、法学者は昔からの言い回しにこだわり、弁護士などの法律実務家も、用語を見直そうという意識が乏しい。
飛び抜けてひどいのは、民法の相続関係の条文にある「尊属」「卑属」である。家系図の上のほうの人が尊属、下の人が卑属で、明治民法の用語がいまだに使われている。
かつては刑法にも尊属殺人を重罰とする規定があり、最高裁の違憲判決をきっかけに重罰規定は削除されたが、尊属・卑属という法律用語はそのままだった。
尊卑という言葉が、現行憲法の精神に反する差別的な表現なのは明白だろう。そこに異を唱えないようでは、民法学者も憲法学者も法律実務家も、あまりにも鈍感であり、怠慢と言わざるをえない。
たとえば上属・下属とか祖属・子属に変えてはどうか。変更すると、その用語を使っている多数の法令をいじる必要が生じるが、放置してよい問題とは思えない。
また、主な法律は口語化されたが、民法には「瑕疵(ルビ:かし)」、刑法には「毀棄(ルビ:きき)」「毀損(ルビ:きそん」といった難読語がある。
法律全般に共通する言葉の使い分けとして、「又(ルビ:また)は」は大きい範囲のor、「若(ルビ:も)しくは」は小さい範囲のorの意味で用いるが、「又」は常用漢字ではなく、「若」の読み方も常用漢字の音訓にない。
条文ではない法学用語になると、民法学では「意思の欠缺(ルビ:けんけつ)」(欠くこと)、「心裡(ルビ:しんり)留保」(うそや冗談)、行政法学の「羈束(ルビ:きそく)行為」(裁量がないこと)、「附款(ルビ:ふかん)」(副次的条件)のように、一般人にとっては読み方も意味も想像のかなたと言うしかない言葉がある。
さらに、民法の世界で「善意」は事情を知らないこと、「悪意」は事情を知っていることを指し、通常の日本語とは全く意味が違う。
難読・難解な用語を使い続けて平気なのは、法律は統治者が作るもの、専門家が使うものという感覚があるからではないか。
根本的には法律は国民が作り、国民が使うものだ。一般の人が理解しやすい言葉に改める必要がある。でないと本当の国民主権にならない。